「一番弟子」
 一番弟子とは「いちばんでし」と読み、弟子の中でも最も優れたもの、あるいは最も早くその師匠についたものを指しています。
 両方の意味を持っているため、一番弟子という表現を見たときには文脈でその意味を判断しなければいけません。
「一番弟子」の意味
 一番弟子という言葉には2つの意味がありますが、最も優秀な弟子のことを指すことが多いです。
 しかし、落語や漫才のような芸を磨く世界では最も早く入門した人が一番弟子となります。
「一番弟子」の言葉の使い方
 一番弟子という言葉は主に落語や漫才、詩吟など芸を磨く場面で使われる言葉ですが、例えば研究者が指導している大学院生に対して「あの学生が一番弟子だから」ということもあります。
 例えば研究者は論文を様々な学術雑誌に投稿し、研究を進めていかなければいけません。
 その中でより多くの学術雑誌に論文を投稿し、さらに研究会などで論文の発表をしている学生の方が指導教授にとっては面白みがある場合もあります。
「一番弟子」を使った例文・短文(解釈)
 それなら、一番弟子という言葉を使った文章にはどのようなものがあるのでしょうか。
 ここでは、一番弟子という言葉が使われた例文をいくつか紹介します。
「一番弟子」の例文1
「門下生の中では彼女が一番弟子だよ、彼女の成長はとても早くていつもびっくりさせられる」
 門下生の中では最も最初に入門した人を一番弟子という場合もありますが、最も能力があるものを一番弟子ということもあります。
 この場合は最も能力があるものが一番弟子と言われています。
 一番弟子は最も能力が高いだけではなく、今後の可能性が期待できる人物でもあります。
 その時点では最も能力が高かったとしても、その人物よりも上を行きそうな若い人がいた場合、どちらが一番弟子になるかは人によって異なるでしょう。
「一番弟子」の例文2
「謙遜をする必要は無いですよ、あなたは確実にあの先生の一番弟子ですから」
 研究者は指導教員の弟子となります。
 指導教員の影響を受け、自分の研究を進めていくのです。
 そのため、指導教員の知識を最も多く受けて研究を進めているものが一番弟子になる場合があります。
 また、指導教員の中でもお気に入りが一番弟子になることもあるでしょう。
 そこには最も出来が良いかという事は関係のない場合もあります。
 指導教員から好かれることによって論文発表なども手伝ってもらえる可能性がありますし、人脈を作ることも可能になります。
 しかしこれは指導教員の人間性にもよるものであり、指導教員の中にはあまり大学院生を手伝わない人もいるものです。
「一番弟子」の例文3
「一休さんはお師匠さんの一番弟子だったのかなあ」
 誰もが知る一休さんという人物は実在した人物です。
 日本ではとんち話の後に出てくる主人公ですが、これは実在した人物が元になって作られた話です。
 子供たちの間でも、例えば橋/端を渡ってはいけないと言われた一休さんが橋の真ん中を渡り、「端は渡っていない」といった話などは非常に有名ですね。
 確かに屁理屈だらけに感じるかもしれませんが、一休さんは確実に師匠の一番弟子だったと言えるでしょう。
「一番弟子」の例文4
「モーツアルトの一番弟子は誰だったんだろう、やっぱりベートーベンかな」
 モーツアルトと言えば誰もが知る音楽家ですよね。
 ドイツのザルツブルグに生まれ、音楽の街と言われたウィーンで活躍した人物です。
 しかしそんなモーツァルトは宮廷音楽家として働いており、かなり貧しい生活をしていました。
 モーツアルトには多くの音楽家が弟子入りをしようとしましたが、中には断られた人たちもいます。
 ベートーベンはモーツァルトの評価を受けるためにモーツァルトを訪ね、演奏した結果モーツァルトから認められました。
 そのため、モーツアルトの一番弟子はベートーベンだったのかもしれませんが、彼はたくさんの門下生を抱えていましたから、今となっては誰がモーツァルトにとっての一番弟子だったかはわかりません。


