「ねじれる」と「よじれる」の違いとは?分かりやすく解釈

「ねじれる」と「よじれる」の違い違い

ニュースや新聞で「ねじれ」国会という言葉を見たり、聞いたりしたことがありませんか。

「ねじれる」とはくねったり、曲がったりする状態を意味しますが、似た言葉に「よじれる」があります。

「ねじれる」「よじれる」は同じ状態を表すときもありますが、使い方に違いがあります。

この記事では、「ねじれる」「よじれる」の違いを分かりやすく説明していきます。

「ねじれる」とは?

ねじられた状態になることを言います。

くねりまがったり、ねじくれたりすることです。

終りのない、らせん状をイメージする人もいます。

身体や物などに使うだけではなく、人の性格や心情、物事の状態や状況についても使用されます。


「ねじれる」の使い方

「ねじれる」が使用される代表的な例文をみてみましょう。

・『手首が「ねじれ」ました』
・『彼はときどき、「ねじれた」物言いをします』
・『ネクタイが「ねじれて」いますよ』
・『まったく「ねじれた」根性で困ってしまいます』
・『話の文脈が「ねじれて」いて、筋が通りませんよ』
・『首長が所属している政党と、議会の多数派政党とが異なるのは、典型的な政治的「ねじれ」現象である』


「よじれる」とは?

ねじれ曲がったり、よれたりすることです。

似た言葉に「曲がる」「くねる」「丸まる」「折れる」「曲がりくねる」などがあります。

腹が「よじれる」など、お腹とセットで使う慣用句があります。

「よじれる」の使い方

「よじれる」が使用される代表的な例文をみてみましょう。

・『笑いすぎて、腹が「よじれ」ます』
・『奥様の帯が「よじれて」いましたので、おなおししました』
・『彼のベルトが「よじれて」いましたが、気にしている様子はありませんでした』
・『スカーフが「よじれて」、うまく結べません』

「ねじれる」と「よじれる」の違い

いずれも、まっすぐでなくなったり、本来の状態でなくなったりすることを意味します。

それも、曲がったり、くねったり、しわができるような複雑な状態や状況への変化をあらわします。

しかし、「よじれる」がお腹や、ベルトなど実体のあるものに使用するのに反して、「ねじれる」「心情」「物事の状況」など、形のないものに対しても使われます。

まれに、「ふてくされた」性格を「よじれた」と表現することもありますが、本来は「ねじれた」とした方が自然です。

また「ねじれる」は、現在「ねじれて」いる状況をあらわしますが、「よじれる」「ねじれる」行為のあと、「よじれた」状態になったという、結果をしめしているという違いもあります。

まとめ

「ねじれる」「よじれる」は、いずれも曲がったり、くねったりして、複雑な形や状態になっていることをあらわします。

しかし、「よじれる」は実体のあるものにもちい、「ねじれる」は、心や状態などにも使用されるという違いがあります。

使い分けるときは、曲がりくねった対象が、何であるかに注意して、言葉選びをしましょう。

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