この記事では、「リア終」【リアジュウ】の意味と使い方、例文を説明していきます。
「リア終」【リアじゅう】とは?
「リア終」とは、実生活での生活がまったく充実していない、残念な人のことを指し、恋人はできないは、就職もできずに家で悶々と過ごす人という意味もあり、若者らしいことが一つもできない者を呼ぶスラング用語です。
実生活を「リアル」と例えて、終わっているを「終」と掛け合わせて「リア終」と言います。
インターネット上の掲示板の2ちゃんねるでは現実社会で心も体も充実している「リアル充」と言い表しますが、その反対語として終わる人のことを「リア終」と言って、揶揄するときに使うスラング用語です。
「リア終」の概要
3次元のリアルな現実社会で仕事もうまくいかず、就職すらできずに家にこもり、ひとり寂しく生きている人のことを「リア終」と言い表します。
このような人はお金もないため、好きなアイドルを応援する活動もできず、ゲーム買って遊ぶこともできないは、友達や恋人をうまく作れない人も多く、孤独に生きるわけです。
そのため、家にいつもいて、楽しみもなくボーッと過ごすことが多く、目標も持てないは、将来への夢を叶えることさえままならないという悲惨な現実を受け入れて「もう人生が終わった」と悲観します。
学生時代から友達も作れていないため親友と呼べる人もいませんし、仲間でどこかに遊びに行くことすらできずにいつもひとりで過ごす生活ばかり送っている人は実生活がまるで充実していないところに、なにもかも終わったと感じるのです。
「リア終」の言葉の使い方や使われ方
知り合いもいないし、友達もいないつらい現実を送るため生活することさえ苦しいと感じ、夢と希望を失ってしまう人のことを「リア終」と言います。
本当なら若者であれば友達と遊んだり、デートしたり、結婚するのが一般的ですが、まったくそのようなことができない現実を送る人は「このまま人生が終わるだろう」とやる気を失います。
そんなやる気を失った人が、普通なら結婚して家庭を持つ世代になったとき自分だけがいまだに異性と付き合うことなく、話したこともない現実に「終わっている人生」と感じたとき「自分はリア終を迎えた」と伝えるわけです。
とくに、同年代の友達がたくさん作れそうな大学生であるのに、話す相手がいないためひとりで過ごすことが多い人が「俺ってリア終だわ」と掲示板やSNSで使います。
「リア終」を使った例文(使用例)
・『リア終は家でひとり寂しく過ごすことが多い』
・『本当は友達や恋人も欲しいと思うが、現実的には叶わないと思うのがリア終だ』
・『もういいことが起こらないだろうと思うリア終はやる気を失い、夢すらない』
家でひとり寂しく過ごす「リア終」は、人生を楽しく生きられないでいる人が多く、もう終わっていると考えているため、将来への不安もない状態ですが、本当なら友達も恋人も欲しいと思っている人も多いわけです。
しかし、現実的には充実することなどなく、夢も希望も叶わないと思うため、やる気も意欲もわかず、夢すら持てないのも「リア終」なのです。
まとめ
まったく現実的に充実していない人を「リア終」と言い、残念な日々を嘆き、ひとりで生きる生活を受け入れています。
このような「リア終」の人はうまく交流できるコミュ力がないので、若者の間では「リア終」と思われて嫌われる原因となってしまいます。
しかし、あえて「リア終」の自分を掲示板でうまく自虐ネタにして、つらい気持ちを明るく表現してみるのもいいでしょう。