この記事では、「体罰」と「しつけ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「体罰」とは?
「体罰」とは、相手に対し苦痛や意図的な不快感をもたらす行為を意味します。
その内容が例え軽いものでも「体罰」は「体罰」です。
辞書では「体罰」は、肉体的な苦痛を与え教育上の目的を達成しようとする方法とされています。
そして、厚生労働省では、身体に何らかの苦痛や不快感を引き起こす行為とされており、少しでも相手に苦痛を与えることになれば、それは「体罰」というものになるということがわかります。
「体罰」の場合、教育上の目的を持っていないように思われますが、実際、教育上の目的を持って、本当にその人のことを考え、将来のことを考え行った行為でも、その人が少しでも苦痛に感じることがあれば、それは、体に罰を与える「体罰」となってしまいます。
「しつけ」とは?
「しつけ」は漢字で「躾」と書くことができます。
この「躾」には、礼儀作法をその人に身につくように教え込むといった意味があります。
この意味の通り平仮名の「しつけ」にも、その人自身を伸ばし、社会で自立できるようにサポートするといった意味があります。
社会で自立するためには、礼儀作法も重要です。
そのような礼儀作法を中心に教えていく、サポートしていく行為が「しつけ」となります。
辞書で「しつけ」は、子供などに礼儀作法を教え身に付けさせることとあります。
また、厚生労働省では、子供の人格や才能などを伸ばし社会において自立した生活を送ることができるようにサポートする行為とされています。
このように「しつけ」とは、子供の今後のことを考え、社会で問題なく暮らしていくことができるように大人がサポートすることを意味するものとなります。
「体罰」と「しつけ」の違い
例え、子供の将来を考え、子供のためにと思い行った行為でも、少しでも、その子供が苦痛に感じる、不快感に思う、それは「体罰」になりかねないのが現状です。
「体罰」の場合、体に与える強い暴力的な行為を意味していると思われがちですが、それだけが「体罰」ではありません。
頭を軽くたたく、長時間反省の意味を込めて正座させる、約束を破ったので夕食を与えなかった。
これらすべて「体罰」となります。
子供が少しでも苦痛に感じれば、それは「体罰」になってしまうからです。
だからと言って、これらを行った親全てが「体罰」に値するということではありません。
「体罰」と「しつけ」の関係において、「しつけ」のなかに「体罰」が含まれることは非常に多く、その境界線が不透明なのも事実です。
とはいえ、「体罰」と「しつけ」には、以上のような違いがあるため、「体罰」に当たらないよう注意することも大切です。
まとめ
以上が「体罰」と「しつけ」の違いです。
明確な線引きが難しい両者ですが、「体罰」は絶対に行ってはいけないもの。
子供を育てるうえで「しつけ」は必要な教育である。
ということだけは間違いのない事実です。