偉大と壮大という言葉はどちらも大きくて素晴らしいという意味合いの言葉になります。
似たような意味の2つの言葉ですが、その違いについて説明します。
「偉大」とは?
偉大という言葉は多くの人が普段使っている言葉ですので、その言葉の意味はなんとなく分かるとい人は多いです。
偉大という言葉はその字が表しているように大きく偉い存在を指す言葉になります。
ただ、その意味から分かるように大きく偉い存在に対して使うのが偉大という言葉ですので、これは物に対して使われる事はないです。
あくまで人に対して使われる言葉になります。
例えばこれまで多くの人が知っているような素晴らしい功績を残してきた人を指す時に偉大な人物といった感じで使われます。
なので、偉大という言葉は何か人から凄い事をしたと思われているような人を指す言葉になります。
偉大という言葉は偉い人を指す言葉なので、これは物に対しては使わないです。
また、偉大という言葉は単なる雰囲気を表現しているわけでもないです。
実際に誰が見ても偉くて立派な事をした人であることが条件になります。
どう見てもこの人は偉いと万人に思われるような人に対して使うのが偉大という言葉となります。
「壮大」とは?
壮大という言葉は大きくて立派という意味の言葉になりますが、この壮大という言葉は人に対して使う言葉ではないです。
大きくて立派な物や建物や人の考えや扱うテーマ等が大きくて立派だと思う時に使う事になります。
また、壮大という言葉は大きくて立派という意味の言葉ですが誰もが同じように大きくて立派だと思う必要はないです。
個人的に何かを見たり聞いたりしたものが大きくて立派なものだと感じるなら壮大という言葉を使います。
例えば誰かが観光である建物を見た時に壮大な作りだと思うような時に使いますが、誰が見てもその建物を壮大だと思うような共通の認識は必要ないという事です。
個人的にあるものやテーマ性を大きくて立派だと思えば使う言葉が壮大という言葉になります。
「偉大」と「壮大」の違い
偉大と壮大という言葉はその意味自体はどちらも大きくて立派という意味です。
ですが、この2つには決定的な違いがあります。
それは偉大という言葉は歴史上人物や現代において立派な功績を残したという認識が多くの人に持たれている人を指す時に使われますが、壮大はそうではないです。
壮大も大きくて立派という意味の言葉ですが、これを使って人が大きくて立派という使われた方はしないです。
壮大というのはあくまで物等に対して使われる言葉であって人間に対して使うものではないです。
その点が偉大と壮大という言葉の違いになります。
まとめ
偉大も壮大も大きくて偉いと思う時に使われる言葉ですが、その使われ方は大きく異なります。
偉大は実際に多くの人が偉いと思っている人に対して使いますが、壮大は物等に対して使い個人的な感じ方で使われるもので人によってはそう感じない物に対しても使われたりします。