この記事では、「娑婆の空気はうまい」の意味を分かりやすく説明していきます。
「娑婆の空気はうまい」とは?意味
「娑婆の空気はうまい」は、刑務所や軍隊のように服役という期間がある場所から日常の自由な生活に戻ったことを意味する言葉です。
ただ、「娑婆」は、元々は自由の拘束を伴う場所のことを指す言葉で、日常の生活を指す言葉ではありません。
「娑婆の空気はうまい」の概要
「娑婆の空気はうまい」の娑婆ですが、元はサンスクリット語のsahaで忍耐を表します。
つまり、「娑婆の空気はうまい」というのは、実のところ、間違いで、これですと忍耐ある生活を営む場の空気はとても良いという意味になり、自由であることと相反するのです。
では、何故、忍耐ではなく自由のことだとなったかですが、実はこの娑婆、という言葉、吉原という遊郭のことで、そこでは性的なことが自由だったという意味の自由でのちに自由の身になることを娑婆と言い出しただけに過ぎません。
今現在の娑婆は、自由の身になることですので忍耐を必要とする生活ではありませんが、元々の意味は、忍耐の必要とする生活のことが娑婆だということは覚えておくと損はしません。
「娑婆の空気はうまい」の言葉の使い方や使われ方
「娑婆の空気はうまい」という言葉は、自由の身になったことを言いたい場合使用します。
要は拘束を受ける生活から解放されたら「娑婆の空気はうまい」といえますので別に刑務所に入らずとも、受験シーズンを終えれば、「娑婆の空気はうまい」と学生が言い切ることはできます。
「娑婆の空気はうまい」を使った例文
・『軍役が終わり娑婆の空気はうまいと感じた』
この例は、若者は軍に所属し一定期間軍人として活動することから解放されたということを示す例です。
ただ、このケースは、日本ではなく、韓国などの軍役制度がある国で、日本の場合、個人の自由を束縛するかのような軍隊に所属を命じられることはなく、任意で軍に所属を希望します。
・『やっと受験から解放された。娑婆の空気はうまいぜ』
この例は、受験期間が拘束を伴う牢獄のような生活であり、それから解放されたという例です。
このケースの場合、実は、絶対に合格ができる受験先であれば牢獄のように感じることはなくむしろ日常生活を送れるのですが、絶対合格できるかどうか分からない場合、勉強を必死で行う必要性があり、牢獄と変わらないという意味になります。
まとめ
「娑婆の空気はうまい」ですが、実のところ、これは本来のサンスクリット語では忍耐のことを指しますので、忍耐を求める生活の空気はおいしいとするため、自由のみであることの方がむしろ悪い空気を吸い込み体に良くないとしていました。
その為、忍耐がある規則正しい生活をすることは健康においては正しい在り方ですが、自由さが制限されますのでストレスという物は感じます。
しかし、現在では、「娑婆の空気はうまい」は自由の身になることを指しますので、元々のサンスクリット語の忍耐を意味する娑婆という意味は使用しません。
ですが、娑婆=自由ではなく、忍耐であるということは覚えておいて損はありません。