「嬉々として」とは?意味や使い方を解説

意味と使い方

「嬉々として」

人生の中で、一番記憶に残っていることと言えば、おそらく楽しいことか、辛いことかもしれませんね。

でも、せっかくなら楽しいことや嬉しい思い出はいつまでも忘れたくないものです。

その時の気持ちは「嬉々として」というような気持ちではなかったかと思います。

「嬉々として」の意味

「ききとして」という読み方をする「嬉々として」は、「大喜びでことに当たっている状態や行動のこと」を指しています。

「とても嬉しそうにして行う」といったような意味のある言葉です。

「嬉々として」の言葉の使い方

「嬉々として」が使われる場面としては、とても心が弾むような嬉しいこと、楽しいことがあった時になります。

その時の心境の人は、周りが羨ましくなるくらいに、跳び跳ねて歩いているに見えるでしょう。

人は苦しい時に努力すればするほど、その後の成功に大きな喜びを感じられるものです。

幼い息子さんも、そんな苦労と努力の末に勝ち取った合格なのですから、心から喜んでも不思議ではありません。

これからまだまだ人生の大きなハードルが待ち構えているかもしれませんが、この時の頑張りを糧として、乗り越えることができるでしょう。

「嬉々として」を使った例文・短文(解釈)

では、ここで「嬉々として」を使った例文を見ていくことにしましょう。

「嬉々として」の例文1

「私の息子は、難関だった私立中学に合格できたので、喜々として入学式に出掛けたのです」

どの程度の倍率で合格率はどのくらいだったのでしょう?難しいと思われていた志望校に合格した息子さんは、親以上に喜んだはずです。

そして、胸に期待を膨らませて入学式に臨んだです。

「嬉々として」の例文2

「昨日、かなり時間をかけて十分に予習してきたのか、日頃数学で苦しんでいた友人は、当てられても喜々として答えていた」

学生の頃で一番嫌なのは、嫌いな科目や苦手な授業で当てられること。

でも、この例文に出てくる「友人」は、苦手な数学でも、前の晩にかなり予習をしていたのでしょう。

そのおかげで、当てられても迷うことなく堂々と答えることができたのでしょう。

「来た、来た」そんなふうに思い、はやる気持ちを抑えてきても、「嬉々とした」顔付きはごまかすことができないのかもしれません。

勉強することは本当は好きではないことでしょうが、友人はかなり頑張ってずっと予習をしたのです。

でも、これが1つの自信につながり、数学の成績も段々と上がっていくことと思います。

そうすることで、他の科目も成績が伸びていく可能性が高いでしょう。

「嬉々として」の例文3

「レトリーバーのジョニーは、カモを口にくわえて私の所に嬉々として戻ってきたのです」

ご主人に忠実なレトリーバーのジョニー勳は、ご主人が打ち落としたカモを確実に捕獲して捕まえて来たようですが、ご主人から褒められることが、とても嬉しいのでしょうね。

ペットを飼っている人ならよく理解できることですが、犬も大事な家族です。

我が子同然のジョニー君が「嬉々として」戻ってくる姿は何となく微笑ましい感じが伝わってきますね。

動物でも人間と同じように感情があるのですから、嬉しい気持ちも人に伝わってくるのです。

「嬉々として」の例文4

「彼らは、希望を胸に嬉々としてやってきてから、あのエリアで楽しく暮らし始めたのです」

長い旅路の末にやっとたどり着いたエリア。

そこは、彼らにとっては、理想郷とも言える夢のような土地だったのかもしれません。

未開の地ながらも、温暖な気候で肥えた大地を耕し、本当の安住の地を見つけることができたと思われます。

このようなことは、今では中々見たり聞いたりすることはありませんが、振り返ってみると、人間の歴史の中には、このような出来事が数えきれないくらいにあったのではないでしょうか?

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