この記事では、「我慢」と「ヤセ我慢」の違いを分かりやすく説明していきます。
「我慢」とは?
したいことをせずにつらい状態にいることや、つらい状態を耐えている状態などを指す言葉で、こらえて許すことという意味もあります。
仏教用語では自分を偉いとする慢心も指しますが日常の言葉としてはあまり使われません。
「暑いのを我慢する」「寒いのを我慢する」「空腹を我慢する」など、つらい状態を耐える対象はあらゆる状況と言ってよく、「好きな酒を我慢する」、「欲しい物を我慢する」などしたいことをせずに耐える状態は当然ながら当人が好きなこと・ものでないと成立しません。
よく我慢ができることを我慢強いといいます。
コロナウイルスの状況においての行動抑制も「我慢して欲しい」などの要請を行政の首長がする事がありました。
「忍耐」と意味合いの近い言葉ですが、「忍耐」が苦難に耐えることで、したいことが出来ないというニュアンスは含まれていません。
「ヤセ我慢」とは?
痩せ我慢、やせ我慢などとも表記される言葉で、無理に我慢しているのに平気であると他の人に装ってみせることを指す言葉です。
対人関係がないと発生しない概念で、ひとりではやせ我慢をする必要はありません。
また、負け惜しみをして悔しさを無理に忍んでいる様子も含まれます。
基本的に自分にとってとマイナスの状況もしくはプラスになる予定をなしにする状況をフォローするために行われる行為で、節約を見られないようにする貧しさをヤセ我慢、厚着もせず寒さをヤセ我慢、なんとか見た目に訴えないように耐える空腹をヤセ我慢などが見られます。
「好きな酒をヤセ我慢している」では、酒が好きなのに周りには酒を飲まないでも平気だという振る舞いをしていることになり、飲み会などにも参加できていないことになります。
ヤセ我慢はある種見栄を張る行為でもあるため、行政などからヤセ我慢することを要請するということはありません。
「我慢」と「ヤセ我慢」の違い
「我慢」と「ヤセ我慢」の違いを、分かりやすく解説します。
「我慢」は空腹や暑さ寒さなどのあらゆるつらいことに耐えることや、好物が食べられない、趣味ができないなどの好きなことが出来ない状況に耐えることなのに対し、「ヤセ我慢」は我慢している状況を他人に対してなんとも思っていないかのように装い、振る舞うことを指します。
我慢なしにヤセ我慢が発生することはありえない概念となっています。
行政などから我慢することを要請したり、親から小さい子供に我慢することをしつけたりすることはありますが、行政からヤセ我慢を要請することはありません。
家庭内では世間体のためヤセ我慢を強いられる状況が発生しうることはあります。
まとめ
「我慢」はひとりでもせざるを得ない状況がありますが「ヤセ我慢」は人との付き合いで発生するものとなっています。
我慢がもとにあってのヤセ我慢ですが、ベースとなる我慢に追加して平気なように振る舞うという辛さがヤセ我慢にはあります。