「眼福の極み」とは?意味や使い方を解説

意味と使い方

「眼福の極み」について

「眼福の極み」という言葉は「がんぷくのきわみ」と読み、日常で使う機会は少ない言葉です。

しかし特に幸せと感じた時には耳にすることもあるかもしれません。

また小説や映画など、作品では使われる機会もあるため、より理解を深めるうえでも知っておく必要があります。

「眼福の極み」の意味とは

「眼福の極み」の意味については最大級の幸せといった意味を持ちます。

「眼福」とは元々素晴らしいと感じた時の感情を意味しており、言葉でまとめることが出来なくても「眼福」の一言で伝えられます。

素晴らしいと感じる対象は景色・芸術・美・食事など様々ですが、特別なものであることがほとんどです。

そして「極み」とは果て・この上がない・最大限と言った限界を意味しています。

そのため「眼福」「極み」が合わさることでこの上ない幸せ・最高に素晴らしいといった最上級の表現の意味を持ちます。

「眼福の極み」の言葉の使い方

「眼福の極み」「眼福」「極み」の間に接続詞が付くことで一つの言葉となり、特定の事象に対して受けた印象・感情を表現する際に使われることが多いです。

その事象に対して素晴らしいと感じた時に「眼福」と使いますが、それが極まったと伝える際に「眼福の極み」と使います。

使われる場面は会話よりも紙面・文章体(小説・手紙など)で使われることが多いです。

そして使う際には何に対して「眼福の極み」なのかを明確にする必要があります。

また多用すると言葉の価値や信用を下げかねないため、注意も必要です。

「眼福の極み」を使った例文

「眼福の極み」は普段使いなれない言葉ですが、感情表現には非常に便利な言葉です。

しかし使い方を間違えると不自然な文章になりかねないため、例文とその解釈を紹介します。

「眼福の極み」の例文1

「手紙に書く内容に『あの時一緒に見た景色は眼福の極みでした。』と綴った」

手紙の中に綴った文章として、過去に一緒に見た景色の素晴らしさが極まっていたということを伝えています。

「眼福の極み」の例文2

「小説にて『芸術における眼福の極みを求めて旅をしている』と書いているが、どのようなものが眼福の極みになるのか考えるだけでも楽しみだ」

この場合、小説の中で眼福の極みに値する芸術を求めるストーリーに期待と楽しみを感じています。

そして読者自身も芸術における眼福の極みがどのような物か想像しています。

「眼福の極み」の例文3

「私は食事をすることが何よりの眼福の極みです」

この場合、私とされる人物にとって最高級の幸せの一つに食事としています。

しかし食べ物を指定しておらず、あくまで食べるという行為に幸せを感じています。

「眼福の極み」の英語と解釈

「眼福の極み」という言葉の英語について、まず眼福という単語をそのまま表現できる単語はありません。

そのため最も近い表現として“feast for the eyes”となります。

それに「極み」が続くため、端を意味する“Extremity”が加わります。

その結果、「眼福の極み」“Extremity of feast for the eyes”と英訳されます。

「眼福の極み」の類語や類義表現

「眼福の極み」にはいくつか類語や類義表現があります。

意味を混同しないためにも、例と解釈を紹介していきます。

「目の正月」

「目の正月」とは珍しい・きれいなものを見て幸せに感じたり喜ぶことを指します。

そして正月は一年で一番めでたく楽しい日とされてきたため、「一年の中で最も幸せ」というニュアンスとなり、この単語のみで一番の幸せ・喜びという意味になります。

「最上の目の薬」

「目の薬」とは景色・芸・作品など目で見て楽しませる・喜ばせるといった意味を持ち、「目の毒」の対義語とされています。

しかし「目の薬」だけではその楽しみ・喜びの程度としては弱いです。

そこに「極み」の類語の「最上」が続くことで「眼福の極み」の類義表現となります。

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