「血眼になる」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「血眼になる」とは?意味と使い方

この記事では、「血眼になる」【ちまなこになる】の意味や使い方、例文を分かりやすく説明していきます。

「血眼になる」とは?意味

「血眼になる」【ちまなこになる】とは、物事をやろうと無我夢中になったとき、目を血走らせて動く人の様子を表し、必死で物事をやろうとして、かなり冷静さを失っている状態という意味があります。

それだけ今やっていることが大変な状況であると分かる人の感情を表す言葉でもあり、人が自分を見下したり、馬鹿にしたときは逆上して目が充血し、赤くなるときも「血眼になる」とかなり感情が高ぶって落ち着かないさまを表します。


「血眼になる」の概要

眼の色が変わるほどやっていることに神経を集中させて取り掛かり、与えられた目的を達成するため時間も食べることも忘れて物事に必死に取り掛かるのですが、なかなか終わらないことで精神状態が乱れている様子を表せるのが「血眼になる」です。

類義語には「無我夢中になる」「意地になる」があるように、取り掛かっていることに対して意欲が過剰になっていくと人は前のめりになり、がむしゃらにやるという行為を表せる言葉になります。

このように「血眼になる」は夢中になりすぎて目の色が変わってしまうほど問題に取り掛かる人の気持ちを表すときに使われています。


「血眼になる」の言葉の使い方や使われ方

仕事していて時間内に終わらないとき、早くしないといけないという焦りから一心不乱に仕事に集中しているその姿を表すのが「血眼になる」で、人が一心不乱に物事に集中するさまを顔の一部で例えて言い表し、いかに自分が大変な状況下であるかを伝えられます。

目の前で問題が起きたとき、解決できないようであれば人は必死に挑戦して乗り越えようとしますが、それが無理であると分かれば必死になって挑むとき血眼になって乗り越えようとするときにも使われている言葉です。

この言葉の類義語にはがむしゃらに取り組む様子を表せる「必死になる」や、眼の色が変わるほど集中するという意味がある「眼の色を変える」などがあり、いかに自分が目の前のことに没頭しているかを言い表せます。

「血眼になる」を使った例文(使用例)

・『40歳を過ぎたとき転職したいと血眼になる』
・『受け取ったお金を血眼になって探す』
・『血眼になって恋人探しする姉の姿に笑ってしまう』
多くの企業が再就職できるのは35歳までとしている中で、40歳を過ぎてから転職するのは大変なことです。

そのため、すでに会社を辞めてしまった人はこのままでは再就職できないとの焦りから血眼になって仕事を探します。

それに大事なお金を落としてしまったとき、人はまずいと感じて必死で探すのに対して、あれだけ「恋人はいらない」「結婚したくない」と言っていた人が恋人を必死で見つけるために活動し出したときは心配するよりも笑ってしまうわけです。

まとめ

自分にとって不安な出来事、大変だと思うことにぶつかったときその問題を解決しようと人は大変な状況をなんとか乗り越えるため必死になるあまり「血眼になる」わけです。

自分があまりいい状態ではないときに使われる言葉ですので、難しいことや困ったことなど問題にぶつかったときは自分なりに解決できる策を考えてみるといいでしょう。

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