「高を括る」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「高を括る」とは?意味と使い方

この記事では、高を括るの意味を分かりやすく説明していきます。

高を括るとは?意味

高を括るとは、大丈夫だろうと思っては甘く見積もるという意味があります。

「高」という言葉は分量を表し、「括る」「予測する」という意味が含まれており、掛け合わせることでたいしたことは無いと思う人の気持ちを表せる言葉です。

慣用句となる高を括るには見くびっているという意味も含まれており、物事に対して「大丈夫だろう」と安易な考えを持っている自分の考えを言い表せる言葉です。

高いところから人を見下しては見くびるとも言い表せる高を括るの語源は、日本での米作りが関係しています。

時代は遡り、戦国時代に米を生産していたその米の生産量は国の力に匹敵するものと考えられていました。

この米の生産量が石高(こくだか)と言い表しますが、戦国時代では天候が悪い年は他国の米も生産できないので収穫量が少ないと石高を低く見積もり、自国の戦力について目を向けずに準備すらしないで、いとも簡単に戦いで負けてしまうその状態を言い表した言葉が現代でも使われているのです。


高を括るの概要

物事を甘く見ている自分の状態を表現するときに使われている高を括るには、相手の実力を見くびり、「この人なら大丈夫だろう」と喧嘩を持ちかけますが、相手の力を甘く見ていたため反対に打ち負かされてしまったという状況で使われています。

また、物事の本質を知らない人は、実際よりもその恐ろしさを知らずに手を出したことで悲惨な状態に巻き込まれてしまうところが高を括ると表現するのです。

自分の方が理解できると思うとき、その自意識過剰な考えによって予想を低く立ててしまいます。

しかし、実際はその予想よりも相手の能力や才能の方が格段に上であったとき、衝撃を受けるその自分の驚く様をこの言葉で表せるわけです。


高を括るの言葉の使い方と使われ方

日常生活でも耳にする高を括るは、自分がいい状況に置かれていないときに使われる言葉です。

使い方としては、力がなさそうな人や、知識がない人を甘く見ることで能力がないとみなしてしまいます。

勝手に能力がない愚か者であると決めつけた人に対しては大きな態度で食って掛かりますが、自分の方がやられてしまったとき、弱い者であったと思い知らされたときにも使われる言葉でもあります。

高を括るを使った例文(使用例)

・背が低い男であったため、喧嘩しても勝てるだろうと高を括ったが、こてんぱに打ち負かされてしまった。

・いつまでも高を括っていると、そのうち痛い目に遭うからやめた方がいいだろう。

・もしもあのとき高を括っていなければこのような酷い状態にはならなかった。

見た目が劣っている人に対して、弱いだろうと勝手に判断して喧嘩しようと向かっていきましたが、自分よりも格段に力が強かった相手に倒されてしまったときに使えます。

この高を括るという言葉は、いつも人を見くびっていると、自分も痛い目に遭うぞと注意するときにも使える言葉です。

また、自分の甘い考えによって悪い方向へと向かってしまうその状況を表すときにも使われています。

まとめ

高齢者なので力がないだろうとか、若いから仕事ができないと見た目で決め付けてしまう人に高を括るという言葉が当てはまります。

しかし、実際に話してみれば、その人は多くの知識があり、素晴らしい才能を持ち合わせていたと分かったとき、高を括っていた自分の方が人として劣っていたことに気づくわけです。

そんな愚かな自分の考えを変えるには、人を先入観で決め付けないようにしましょう。

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