この記事では、「敬う」と「崇める」の違いを分かりやすく説明していきます。
「敬う」とは?
「敬う」とは、相手に対して尊敬の念を持っているという意味の言葉で、相手に対して尊び、自分よりも目上のものであるとして丁重に扱うことを言います。
「尊敬」とは、相手を尊びそして敬う事を言いますが、その対象については神仏から人間に至るまで幅広く、自分の身近な人に対しても使用されます。
一般的には自分の身近な人から、歴史上の人物などまでが対象となっていて、自分が想像できる範囲の人について使用されます。
「敬う」の使い方
「敬う」は、身近な存在から歴史上の人物、神仏に至るまで非常に幅広い対象に使用されます。
身近な例でいえば、自分の両親であったり、友人、学校の先生などに対して尊敬の念を込めて「敬う」と使用されます。
またそれが自分の身近ではない、歴史上の人物や神仏に対しても「敬う」は使用されます。
一般的には、自分が知っていて想像できる人に対して使われます。
「崇める」とは?
「崇める」とは、相手に対して崇拝の念を持っているという意味の言葉で、相手を自分が到達できないほどの絶対的な者とし丁重に扱うことを言います。
「崇拝」はその文字の通り、崇め拝むことを言うため、相手は拝むべき存在となる場合が多く、神や仏に対して使用されるのが一般的です。
神や仏のような絶対的な存在で、努力した所で到底そこには到達できないような対象に対して使用される言葉です。
人間に対して使用される場合では、対象となる人物がまるで自分にとって神様を崇め拝するかのように到底ての届かない絶対的な存在について使われます。
「崇める」の使い方
「崇める」は、その対象に対して崇拝している時に使用される言葉です。
主に宗教上で使用される場合が多く、自分の信仰している宗教の教祖などに対して「崇める」と使用したり、神や仏などの崇拝する対象に対し「崇める」と使用します。
「敬う」と「崇める」の違い
「敬う」は相手に対して尊敬の念を持っているという意味であり、その対象は身近な人から歴史上の人物まで幅広く使われる言葉です。
対して「崇める」はその対象を崇拝している事を意味し、自分が到底到達できる場所には存在しない絶対的なものに対して使用されます。
ですから、「崇める」はどちらかというと宗教上で使用される場合が多い言葉でもあり、教祖に対して「崇める」や神や仏を「崇める」と言ったようになります。
しかし「敬う」はその対象は幅広く、自分の両親に対してや、友人、知人に対してなど非常に身近な存在に対しても「敬う」は使用される言葉です。
まとめ
「敬う」は尊敬するという意味で、身近な人から歴史上の人物まで幅広く使われます。
対して「崇める」は主に宗教上で絶対的に自分が到達できない存在に対して崇拝するという意味で使用される言葉となります。