この記事では、「感無量」と「感慨」の違いを分かりやすく説明していきます。
「感無量」とは?
「感無量」は「かんむりょう」と読みます。
意味は「喜びを深くしっかりと心に感じて、その思いがはかりしれないほどの様子」です。
非常に嬉しいことが起きて心に深く感じ入り、どう表現したら良いのか分からないほどしみわたっている気持ちを表します。
「感無量」は「感慨無量」を略した言葉で、日常会話で使い易いことから省略されたと言われています。
「感慨」は下で紹介しますが「心に深く感じる」という意味、「無」は「ない」とも読み「存在しないこと」という意味、「量」は「はかる」とも読み「重さや大小などをはかること」という意味、「感無量」で「心に深く感じ入り、その程度をとてもはかれないこと」になります。
「感無量」の使い方
「感無量」は「喜びを深くしっかりと心に感じて、その思いがはかりしれないほどの様子」という意味で使われます。
名詞・形容動詞として「感無量だ・である」と使われたり、形容詞として「感無量の」と使われたり、副詞として「感無量で」と使われたりします。
基本的に、喜びでいっぱいで感じ入ることだけではなく、とてもそれを表現できないほどであるという高揚した心理を同時に表す言葉です。
「感慨」とは?
「感慨」は「かんがい」と読みます。
意味は「心に深く感じ入り、しみじみとした気持ちになること」です。
騒ぐほど嬉しいことというよりは、自分で喜びをかみしめる気持ちのことを言います。
「感」は「外部のものに刺激を受けて心が動くこと」という意味、「慨」は「なげく・いきどおる」とも読み、「心を揺さぶる思いで一杯になる」という意味、「感慨」で「刺激を受けて心が揺さぶられ、胸がいっぱいになること」になります。
「感慨」の使い方
「感慨」は「心に深く感じ入り、しみじみとした気持ちになること」という意味で使われます。
名詞として他の品詞を伴い「感慨深い」「感慨にひたる」と使われたり、副詞として「感慨深く」「感慨にひたって」などと使われたりします。
基本的に、しみじみと心に深く感じることを表す言葉で、爆発的な高揚感などはありません。
「感無量」と「感慨」の違い
「感無量」は「喜びを深くしっかりと心に感じて、はかりしれないほどの様子」という意味です。
「感慨」は「心に深く感じ入り、しみじみとした気持ちになること」という意味です。
「感無量」の例文
・『徹夜で仕上げたプレゼンが成功して感無量です』
・『大会で初優勝できて感無量だ』
・『コンサートを終えて拍手喝采に感無量だ』
・『10年ぶりに祖国の土を踏んで感無量だった』
「感慨」の例文
・『同窓会で旧友たちに会い感慨に浸った』
・『娘の結婚式は感慨深いものだ』
・『美術の教科書に載っていた絵画を見て感慨に浸った』
・『今日で定年を迎えるにあたり色々と感慨深いものがある』
まとめ
今回は「感無量」と「感慨」について紹介しました。
「感無量」は「感じ入ってはかりしれない気持ち」「感慨」は「感じ入ること」と覚えておきましょう。