この記事では、「厳格」と「厳粛」の違いを分かりやすく説明していきます。
「厳格」とは?
「厳格」は、正しいことを正しいと述べ、間違っていることは間違いであると公言できる思考を持つ性格のことです。
その為、「厳格思考」という言葉が存在しますが、この言葉は簡単に言えば正しいか間違っているかを正さずにはいられない思考を持つことを指します。
「厳粛」とは?
「厳粛」は厳しいルールなどを敷いて自分を統率し、自ら私利私欲に走らない性格です。
つまりは、原理や法則などがあった場合、それらを厳しくルールづけることで自分を利己的にあり続ける様を「厳粛」と呼び、知性により、欲望などに支配されない性格です。
「厳格」と「厳粛」の違い
「厳格」と「厳粛」の違いは、知性が人物の性格を作り上げているか、人情などの感性が人の性格を作り上げているかです。
「厳格」は、人情などの感性が人の性格を作りますが、「厳粛」は知性が性格を作り上げますので違いは感性か性格を作り出すか、知性が性格を作り出すかです。
つまり、「厳格」や「厳粛」は、一つの性格であると考えると違いは明らかになります。
「厳格」の例文
・『父は厳格な性格です』
この例では、父親は曲がったことが嫌いで白黒をつける性格だという例です。
「厳格」はあくまで感性で正しいかどうかを判断することが多いので人間の持つ感性が正しいかどうかを判断するとすれば、この父と言われる人物は人情などで正しいか間違っているかを判断している人物になります。
「厳粛」の例文
・『父は厳粛な性格です』
この例は、父親が知性によって正しいか間違っているかを判断したり、自分の中にルールを作ることで厳しく己を利する人物だとしています。
「厳粛」は知性が物を言い、知性が重要な父親の性格を構成しているのです。
その為、自分の中ではあるルールを作っており、そのルールに従い自分を利するが故、見方によっては自分に厳しく、他者に対しても知性が伴わないと判断した場合、厳しく接する可能性も否定できません。
まとめ
「厳格」と「厳粛」の違いは、性格を構成するものが異なります。
「厳格」は、人情などの感覚的なものが性格を作り上げていくうえで、曲がったことが嫌いである等白黒をつける性格へと作られていきますが、「厳粛」は、知性が性格を作り上げているため、曲がったことが嫌いである等のように、感覚に頼り間違っているかどうかを判断するのではなく、どちらが得をするか、損をするかなどもっと知性をフルに活用して正しいか間違っているかを判断しますので、違いは、元となる性格を構成するものが異なるのです。
知性が、性格を構成した場合、利己的に考えるが故、自分を利するようになり、無駄な考えを持たなくなるが故「厳粛」という正確になりますが、「厳格」は、単に厳しいという文字こそありますが、厳しい性格ではなく、単に人間的な感覚によって正しいか間違っているかを判断しているにしかすぎないため、「厳格」とは他人に厳しい性格ではないのです。