「最大限の努力」について
最大限の努力とは、さいだいげんのどりょくと読みます。
努力を最大限にするという事になるので、普段やっている努力程度ではダメだという事です。
これから下記に、最大限の努力の意味や言葉の使い方を、例文などを交えて解説していきます。
「最大限の努力」の意味とは
最大限とは、一番大きい程度、可能な範囲内での最大を目指す様を表します。
努力とは、目標や夢を実現するために必死で立ち向かう事、目標を掲げてそこに到達するために邁進する事を示します。
同じ目標や夢を実現するために、必死で立ち向かう様子でも程度があって、普通のレベルの努力から、さらにもっと努力するレベル、最大限に努力してみるレベルといった風に、同じ努力をするのでも段階があるのです。
「最大限の努力」の言葉の使い方
最大限の努力の言葉の使い方としては、「最大限の努力をする」というよりは、「最大限の努力を払う」といった形で用います。
努力する内容として、仕事、勉強、習い事、スポーツなど、様々なものがあります。
払うという意味には、何かを支払う、渡すといった意味以外にも、心を傾斜する、何かに対して心を剥けて注ぐといった意味が込められています。
「最大限の努力」を使った例文
これから下記に、例文を交えて「最大限の努力」という表現を用いながら、その例文が示す解釈についても考察していきます。
「最大限の努力」の例文1
「毎日何をするに対しても最大限の努力をする気持ちがわいてこない」
何か夢や目標に向かって必死に努力する気持ちが一切わいてこないから、毎日が退屈でつまらないといった感情が込められている文です。
青春時代といった若い頃とは違って、年を取るにつれて、行動よりも先に頭で先の事を考えてしまう傾向が強いから、失敗を恐れて必死になって何かに取り組むといった事も減ってきているようです。
「最大限の努力」の例文2
「資格試験に向けて、最大限の努力をしながら頑張ってきた甲斐があって、見事合格できた」
資格試験に合格するといった目標を掲げながら、最大限の努力をしながら頑張ってきた甲斐があって、見事資格を取得する事ができたという喜びが伝わってくるようです。
このように、最大限の努力をして、夢や目標にたどり着けた時の喜びは、ひとしおでないのです。
「最大限の努力」の例文3
「いつも何かする時には、最大限の努力をしなくても楽できるようなプランを選ぶようにしている」
いつも何かにトライする度に、その都度骨身を削るような思いをしながら、最大限の努力をしていたら、身が持ちません。
それよりは、精神的にも肉体的にも楽できて、長続きできるプランをセレクトした方が、長続きできるといった気持ちが込められた文章です。
「最大限の努力」の英語と解釈
「最大限の努力」を英語で示すと、“bend over backward”となります。
“bend”の意味は、曲げるといった他にも、熱心であるといった意味があります。
“over”は、超える、克服する、打ち勝つです。
“backward”が後ろという意味なのですが、“bend over backward”を直訳すると、自分の体を後方へと剃り返す様子を示します。
このきつい姿勢の状態の事を、全力を尽くすと訳すのです。
セットで覚えないと、直訳してしまったら、体操のきついポーズになってしまうので注意しましょう。
「最大限の努力」の類語や類義表現
これから下記に、最大限の努力の類語や類義表現をピックアップしていきながら、それぞれの類語と最大限の努力の言葉の意味のニュアンスの違いについて解説していきます。
「尽力」
最大限の努力をもっと簡潔に言い表した言葉として、尽力があります。
尽力とは、じんりょくと読むのですが、精一杯対応したり、努力をする様子を表します。
最大限の努力と尽力の意味のニュアンスの違いとしては、最大限の努力は、自分や誰かといった風に、どちらにでも用いますが、尽力は、自分に対して用います。
自分以外の人の最大限の努力に対して尽力という言葉を用いる場合には、「ご尽力」といった風に、敬語の表現を用います。
自分が最大限の努力をするといった意味で尽力という言葉を用いる場合には、「尽力させていただきます」といった風に、丁寧語として用いるのが一般的です。
「粉骨砕身」
最大限の努力と似たような意味で、粉骨砕身という言葉があります。
粉骨とは、骨が粉になるぐらいに砕けようとも、砕身は、身が砕けるぐらいにといった意味があるので、骨が砕けたり、身が砕けるぐらいに苦しんででも、頑張って立ち向かうといった意味が込められています。
それだけ、必死になれという事なのですね。
粉骨砕身という言葉は、元々禅宗の教えから生まれた言葉です。
禅宗で用いられている粉骨砕身の意味としては、一生懸命に努力する事は大変ですが、仏に恩にむくいるためには、骨を粉にして身を砕いてでも、報いるべきといった想いが込められています。
それだけ修行が厳しかったという事でしょう。
現代は、何でもオートメーション化しているから、便利な世の中ですが、そんな中でも夢に向かって粉骨砕身して頑張る姿勢が大切です。