この記事では、「世話焼き」と「お節介」の違いを分かりやすく説明していきます。
「世話焼き」とは?
「世話焼き」には3つの意味があります。
1つめは、好んで他人の面倒をみることです。
また、その人です。
他人の面倒をみる嫌がる人がいる一方、好んで面倒をみる人もいます。
たとえば、食事をするときに、他人の分まで料理を取りわけたり、大きな肉などを切りわけたりすることは、他人の面倒をみているといえます。
このような人は「世話焼き」だといえるでしょう。
2つめの意味は、必要以上に人の面倒をみたがること、またその人です。
面倒をみてもらえると「助かる」と感じますが、その行為が必要以上のものだとありがた迷惑です。
本人ができることを代わりにやる、やらなくてもいいことに手出しや口出しをするのは、必要以上に面倒をみているといえます。
そのようなさまや、その人のことを意味しています。
3つめは、世話人のことです。
団体や会合などの中心になって、事務上の処理をする人のことを世話人といいます。
「世話焼き」の使い方
他人の面倒をみるという意味で使用をします。
面倒をみることを好むという意味の場合もあれば、面倒をみるのが必要以上である意味の場合もあります。
「お節介」とは?
余計な口だしや手だしをして、必要以上に面倒をみることです。
やっている人は相手のためを思って、口をだしたり、手をだしたりしているのですが、その行為を受け取る方としては迷惑をしています。
必要のない世話なのです。
たとえば、なかなか結婚しない人がいたとします。
この人は結婚をしたくなくて結婚していません。
その人に対して、「いい人を紹介するよ」としつこく声をかけたり、お見合い相手を紹介したりするのは、いらない世話です。
相手のことを思ってやっていることですが、行為を受け取る方としては、その世話はいりません。
相手のことを思ってやっているけれど、迷惑になっていたり、世話が必要以上である場合を意味している言葉です。
「お節介」の使い方
余計な世話をすることを指して使用する言葉です。
口を出すことにも、実際に行動することにも使用をします。
「世話焼き」と「お節介」の違い
やらなくてもよいことなのに、他人の世話をするという意味が同じです。
「世話焼き」には、好んで世話をするという意味もありが、この意味は「お節介」にはありません。
「世話焼き」の例文
・『私の周りには世話焼きな人が多い』
・『世話焼きな事務員』
・『自称世話焼き』
・『昔から世話焼きだ』
「お節介」の例文
・『お節介がストレスになる』
・『お節介だったかなと心配になる』
・『母のお節介に迷惑している』
・『近所のおばさんがお節介だ』
まとめ
2つの言葉には共通する部分がありますが、違う部分もあります。
共通する部分があるため、同じような使い方をすることもありますが、違いもあるため同じ場面で使わないこともあります。