この記事では、「息災」と「達者」の違いを分かりやすく説明していきます。
「息災」とは?
「息災」【そくさい】とは、体が丈夫で健康であること、無事に過ごしている、という意味です。
また、仏教上で神仏の力によって災いがなくなることを指します。
「息災」は元気で無事なことを指して使われていますが、もとは仏教用語で、神仏の力によって天才、人災、病気を防ぎ、人が持つ煩悩【ぼんのう】をなくすことを表していました。
神仏のおかげで人が病気や災難にあわず元気に過ごせることから、現在のような使われ方になったとされています。
「息災」に使われている漢字の意味を見てみると「息」は消えることを、「災」は不幸や悪い出来事を表しており、これらを組み合わせた「息災」は「人を苦しめる出来事を消す」という意味を持つことが分かります。
「息災」の使い方
「息災」は、健康で病気をしないという良い意味を持つ言葉です。
「息災」という言葉は、お寺にお詣りしたとき、お守りや年賀状を手に取ったときには目にすることが多いでしょう。
ビジネスシーンでは「皆様のご息災をお祈り申し上げます」などのように挨拶文に用いることがあります。
また「息災」を使った言葉には「無病息災」「延命息災」「一病息災」など、さまざまな四文字熟語があります。
「無病息災」は病気ひとつせず健康に過ごしていること、「延命息災」は病気をせず元気に長生きすることです。
また「一病息災」は、病気はあるものの無事に過ごしていることを表します。
できれば人生は「無病息災」「延命息災」であるほうが良いのですが「息災」ならば一病があっても十分に幸せだということです。
「息災」のニュアンスをふまえた上で、挨拶などに活用するとよいでしょう。
「達者」とは?
「達者」【たっしゃ】とは、体が丈夫で元気な様子、または、技術が優れている、巧みなことを指します。
「達者」という言葉は仏教用語の一つであり「修行によって真理に達し、すこやかな心身を手に入れた者」を表していました。
その意味が転じ、健康なこと、優れた技術を持つことを指して使われるようになったといわれます。
漢字の意味を見ても「達」は優れていること、成し遂げることを表しており、「達者」は熟練した技術を持つ者を指すことがうかがえます。
「達者」の使い方
「達者」は、自身が元気に暮らしている近況を伝えるとき「達者にしております」のような使い方をします。
また、目上の人に「元気でいてくださいね」と言う場合は「達者」に「お」を付けて「どうぞお達者で」のように挨拶をします。
人の技術が手慣れて見事な場合は「達者な筆さばき」「芸達者」など使い方で賞賛します。
「達者」は良い意味を持つ言葉ですが「口が達者」だけは「口がうまい」と卑下するニュアンスを持っているので、相手に対して使ってはいけません。
「息災」と「達者」の違い
「息災」と「達者」の違いを、分かりやすく解説します。
「息災」は、根底に神仏が災いを防ぐという意味があり「元気で無事に過ごしている」というニュアンスを持ちます。
一方「達者」の語源は「悟りを開いて達した者」にあり、「病気やケガもせずいつも元気な人」「熟達した技を持っている人」という意味で使われています。
どちらも健康に過ごしていることを表しているところは同じです。
ただし、言葉が本来表している意味には違いがあります。
まとめ
「息災」と「達者」は仏教用語から転じた歴史の長い言葉です。
挨拶するときに使うことがあるので、言葉の持つ意味を理解して正しく使えるようにしておきましょう。