「万葉集」と「古今和歌集」と「百人一首」の違いとは?

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「万葉集」とは?

万葉集と言えば、新しい元号が万葉集を由来としていることからも話題になりました。

万葉集というのは7世紀後半から8世紀後半にかけて作られた、日本に現存する最古の和歌集です。

様々な身分の人たちが詠んだ4500もの詩が集められており、新しい元号もそのようなポイントが高く評価されています。

そのうち半分近くが作者不詳であり、実際は759年まで130年間に渡って作られた詩が掲載されていますが、体裁が整ったのは759年から780年頃だと考えられています。

日本文学の研究においても重要な資料だと考えられており、方言学でも非常に貴重です。

「古今和歌集」とは?

古今和歌集は醍醐天皇の命令により、平安時代前期に作られた勅撰和歌集です。

20巻あり、勅撰和歌集としては最初に編纂されたものを指しています。

万葉集に選ばれなかった古い歌から撰者の時代までの和歌が選ばれ、905年4月18日に完成しました。

ただしその後も編纂された傾向があり、実際に完成したのは912年なのではないかという見方もあります。

有名な詩人は紀貫之、紀友則らです。

「百人一首」とは?

百人一首は現代でも百人一首大会など、多くの人に愛されています。

これは100人の歌人から1人1首選び、作られた秀歌撰です。

特に藤原定家が選んだと考えられている小倉百人一首はかるたとしても知られており、百人一首と言えばこの小倉百人一首を指すことがほとんどです。

これは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて藤原定家が選んだものであり、鎌倉幕府の求めに応じて作られました。

飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳天皇に至るまで、年代順に色紙にしたためたと考えられています。

完成した年代は明らかにされていませんが、13世紀前半なのではないかと考えられます。

「万葉集」と「古今和歌集」の違い

万葉集は和歌集であり、古今和歌集は勅撰和歌集、という違いがあります。

また、万葉集は奈良時代に完成したと考えられますが、古今和歌集は平安時代に作られました。

万葉集は誰が編集したのか不明ですが、大伴家持が関わっている事は確かだと考えられています。

古今和歌集は醍醐天皇が命令したものだということが明らかになっています。

「万葉集」と「百人一首」の違い

万葉集は奈良時代に作られましたが、百人一首は平安時代から鎌倉時代にかけて作られたということで、時代が大きく異なります。

また、万葉集は誰が作ったのかわからない歌も多いですが、百人一首は全て誰が作ったものなのか明確になっています。

百人一首は今もカルタとして人々に愛されています。

その一方で、新しい「令和」という元号が万葉集から取り入れられましたから、万葉集に関心を持つ人も多くなるのではないかと推測されます。

「万葉集」の有名な和歌

ここでは万葉集で有名な和歌を紹介します。

「梅の花の歌」

新しい元号は、この梅の花の歌32首の序文から引用されたものだと考えられます。

「時、初春の令月にして」という表現から始まる序文が新たな日本の歴史を刻むことになりました。

もともと梅の花は春の訪れを1番先に知らせる花であり、そこから漂う香りが大きな人を喜ばせていたと考えられています。

そのため、万葉集には梅に関する歌が120もあります。

ちなみに、その次には萩についての歌が多く、その後は桜が続きます。

今はどちらかというと梅よりも桜が重宝されますので、少し驚きですね。

「秋の田の」

磐之媛尊(いわのひめのみこと)は多くの恋愛を題材にした和歌を作り上げたとして知られています。

例えば「ありつつも君をば待たむうち靡くわが黒髪に霜の置くまでに」「秋の田の穂ねか上霧らふ朝がすみ何方の方にわが恋ひやまむ」など、あなたを待ちましょう、あなただけを思っています、といった和歌を多く残しています。

「あかねさす」

これは額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ歌です。

名前は古文の授業などで知っているという人も多いのではないでしょうか。

「あかねさす紫野標野行き野守は見ずや君が袖振る」という和歌は万葉集の中でも最も人気がある和歌の1つだと考えられています。

もともと額田王は天武天皇であった大海人皇子と夫婦の関係を築いていました。

しかし額田王は天智天皇に召されてしまい、愛する天武天皇と一緒にいられなかったのです。

そこから、私に袖を振っていらっしゃるあなたを野の番人は見咎めないのでしょうか、という大胆な、そしてロマンチックな歌を詠みました。

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