この記事では、「不倶戴天の決意」の意味を分かりやすく説明していきます。
「不倶戴天の決意」とは?意味
「不倶戴天の決意」は、必ず復讐をやり遂げるという決意を表した言葉です。
というのも、「不倶戴天」というフレーズ自体は中国の儒教の経典の中に書かれており、それをモチーフにしたのが「不倶戴天の決意」で必ず復讐をやり遂げるという強い決意を表した言葉がこの言葉になります。
「不倶戴天の決意」の概要
「不倶戴天の決意」である、「不倶戴天」の部分ですが、この部分は言ってしまえば、自分の肉親を敬うためであれば、他者を皆殺しにしてもかまわないという考えであると言えます。
というのも、「不倶戴天」という根本の考え方は、儒教の考え方で、儒教は実は、夫婦や親と子の関係の理想を述べた書物ではありますが、致命的な欠陥と言われる部分があります。
それがこの「不倶戴天」と言われる部分で、要は、身内に向けられた悪意であれば、それを晴らすことが許されており、身内に悪意を向けたものに対しては殺害することを許したが故、一族総出で全面戦争になるという欠陥があります。
「不倶戴天の決意」とは、本来は必ず復讐をやり遂げるという意味だったのですが、今現在では、身内の無念を晴らすためには全面戦争もいとわず、敵意を向けたものを全員始末しても構わないという物に置き換わってしまっています。
その為、「不倶戴天の決意」には、必ず復讐をやり遂げるという意味合いの他に、敵から受けた報復行動についても忘れないという強い恨みを持つ言葉としても成り立つようになったのです。
これらは、儒教による教えを守れば守るほど陥る問題で、ようは血で血を洗うようなことをやり遂げる意思があれば、「不倶戴天の決意」はなされたとなるが、血で血を洗うことをためらう要では、「不倶戴天の決意」には至らないと言えるのです。
「不倶戴天の決意」の言葉の使い方や使われ方
「不倶戴天の決意」は、復讐を誓うことに使用しますが、あまり日本では使用されるフレーズではないです。
というのも、日本では儒教の教えは武家には広がりましたが一般の市民には広がっておらず、「不倶戴天」という言葉も小説でしか見たことが無いが故、使いどころがないと言えます。
「不倶戴天の決意」の類語や言いかえ
「不倶戴天の決意」の類語や言いかえは、「怨敵」や「悪をもって悪を制す」などがあり、復讐を果たすためには手段を選ばないという意味であれば類語や言いかえになります。
まとめ
「不倶戴天の決意」という言葉を聞いて、日本人が今ひとつピンとこないのは、儒教の教えが全く広がっていないが故です。
儒教は、報復による報復が怒るという問題点があり、それらは日本の一般市民には受け入れられませんでした。
「不倶戴天」という言葉はまさにその、報復を行うことに当たる行為で、さらなる報復を呼ぶのではないかということもあり、日本では小説などでしかお目にかかれない言葉となっています。
しかし、「不倶戴天」という言葉自体は、儒教から用いられた言葉ですので、それを決意するということは復讐を決意するというありがちなフレーズでありますが、復讐を決意するということは報復を生むということでもあるため、恐らく日本ではあまりお目にかからない言葉であっても致し方ないと言えます。