この記事では、「人生積んだ瞬間」の意味を分かりやすく説明していきます。
「人生積んだ瞬間」とは?意味
「人勢詰んだ瞬間」は、俗語で、人生が終わったと思えた瞬間という意味です。
よって、このワードが指し示すのは、恥ずかしい体験だったり、笑えない失敗をしてしまい、周囲に多大なる迷惑をかけたなど様々になります。
そのうえで、自分に対して「人生が詰んだ瞬間」といっている人は案外と人生は終わってません。
なぜなら、本当に人生が終わったと思う人物は、他人の人生でない限り、やすやすと人生が終わったと言いません。
といいますのも、逃げ道というものを考えるのが人間なので、たとえ1000万の借金を自分が背負っても回避策や逃げ道を考え、それが通用すれば、人生が終わることはないので、このワードはあくまで他人の人生がどうあるかという俗語でしかありません。
「人生詰んだ瞬間」の概要
「人生詰んだ瞬間」ですが、実はこのワード周囲に公言できている状況にあれば、言うほど人生は終わりを迎えていません。
たとえば、借金を1000万したとしても周囲に公言している間はまだ、巻き返そうと努力していますので、まだ人生は終わりではありません。
逆に、借金が1000万あり、どうしようもないとわかりきったうえで、周囲に相談をもしない場合、これは詰んでます。
なぜなら、借金を返そうと考えていないわけですから容赦なく取り立ては来る上、返す努力をしておらず、また、破産するという道も選んでいないので逃げ道を選択すらしていないので、おそらく人生は終わりを迎えているでしょう。
このように、人生が詰むというのは、逃げ道があっても逃げないがゆえ、人生が終わりを迎えるのです。
「人生が詰んだ瞬間」の言葉の使い方や使われ方
このワードは、客観で言う場合、対象の人生が終わりを迎えているという意味で使用しますが、自分のことに置き換えた場合、実は余裕がある大問題が起きたという際に使用します。
他人の人生の場合、本当に人生が終えるかもしれないと思い、他人事なので、「人生が詰んだ瞬間」といえるのですが、自分のことの場合、逃げ道があるかもしれないので、「人生が詰んだ瞬間」と言い切るには時期早々です。
「人生詰んだ瞬間」を使った例文
・『部長の様子を見るに、人生詰んだ瞬間のようだ』
まとめ
「人生詰んだ瞬間」は、要は、自分のことに置き換えて言うのか、他人の人生を言うかで意味が異なります。
他人の場合、「人生詰んだ瞬間」は、本当に人生が終わったとされる事態にあるんですが、自分の場合、人生が終わったと言い切れず、逃げ道を使うことで回避という手段を取った場合、人生が終わったとならないのです。
よってこのワードはあくまで、人生が終わりそうである他人の人生がどうかということを述べる俗語です。
自分の人生が終わる場合、このようなワードで人生が終わる瞬間ということはまずありえず、人間は自分のことであれば足掻いてでも人生が終わることを阻止します。