「他生の縁」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「他生の縁」とは?意味と使い方

この記事では、慣用句の「他生の縁」の意味を分かりやすく説明していきます。

「他生の縁」とは?意味

「他生の縁」の読みは「たしょうのえん」で、「この世に生まれるまで、何度も生死を繰り返している間に結ばれた因縁のこと、前世で結ばれた縁のこと」を意味する言葉です。


「他生の縁」の概要

「他生」とは仏教用語で、現世である「今生(こんじょう)」に対比して「前世や来世」を指す言葉です。

従って「他生の縁」「前世で結ばれた縁のこと」を意味します。

またこの言葉は、「多生の縁」と表記されることもあります。

この「多生」も、やはり仏教用語であり「何度も生まれ変わること」を意味する言葉です。

仏教において、人間は地獄道・飢餓道・畜生道・修羅道・人間道・天道のいわゆる六道を、何度も生まれ変わると考えられており、これが「多生」なのです。

従って「多生の縁」とは、「この世に生まれるまで、何度も生死を繰り返している間に結ばれた因縁のこと」を意味する言葉となるのです。

この「他生の縁」は、一般的には「袖すり合うも他生の縁」と言う、ことわざとして使われることが多い言葉です。

「袖すり合うも他生の縁」とは、道を歩いていて知らない人とすれ違い、着物の袖が擦れあったり触れたりする程度の縁でも、これは前世からの深い因縁によるものであると言う意味です。

すなわち、「どんな出会いも、偶然ではなく前世からの深い縁に因るものであり、大切にすべきである」と言うことを説いた仏教的な教えを表現することわざなのです。

この「他生の縁」「多生の縁」を、「多少の縁」と誤って覚えておられる方が少なくありません。

この誤った「袖すり合うも多少の縁」の表記では、「袖をすり合う様な出会いでも、少しは縁がある」と言う意味になり、ことわざとするほどの教訓など全くなくなります。

すなわち、この「多少の縁」は明らかな誤りです。

しっかりと、正しい表記と意味を覚えておきたいものです。


「他生の縁」の言葉の使い方や使われ方

「他生の縁」の言葉は。

以下の例の様に使われます。

・『妻と出会った時に、何となく懐かしい気持ちがしたものですが、これはまさに他生の縁を感じていたのかも知れません』
・『彼女と知り合って間もなく、彼女は不慮の事故で他界してしました。まだまだお互いを深く理解するほどでもありませんでしたが、袖すり合うも他生の縁と言うし、後世で再び出会いたいと思っています』
・『私は尊敬できる上司に出会えたことに、感謝しています。袖すり合うも他生の縁と言いますが、前世ではこの上司とどんな関係だったのだろうかと、思いを巡らす事もあります』

「他生の縁」の類語や言い換え

「他生の縁」は、「躓(つまず)く石も縁の端」「行きずりの宿世」と言い換える事が出来ます。

また「袖すり合うも他生の縁」「一樹の陰一河の流れも他生の縁」のことわざで言い換えることも出来ます。

まとめ

「他生の縁」「多生の縁」とは、仏教用語が起源で、「この世に生まれるまで、何度も生死を繰り返している間に結ばれた因縁のこと、前世で結ばれた縁のこと」を意味する言葉です。

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