この記事では、「余所見」の意味を分かりやすく説明していきます。
よく分からない言葉を、しっかり理解していきましょう。
「余所見」とは?意味
余所見(よそみ)とは、集中できなくて気がそがれること。
本来見るべきものと、違うものに意識が向くことです。
前方不注意の運転をしているとき、気持ちが散漫になっていて、考えがまとまっていない場合につかわれる言葉です。
そもそも「余所見」という用語は「余所」と「見る」がセットになったものです。
「余所」というのは、自分とは関係のない事柄をあらわします。
つまり本当は見る必要のないもの、考える必要もない事象なのに、意識がそっちに行ってしまうのが「余所見」になります。
他に気を取られてしまって作業が満足にできない場合に、警告として用いられています。
「余所見」の概要
「余所見」は江戸時代の書物にも書いてある、とても歴史のある言葉です。
当時は「よそさまの問題」つまり、自分にとっては関係のない事象を「余所見」といいました。
隣人の争いごとに対して「関係のない人がとやかく口を挟んではいけない」という意味で使われていたのです。
ただ現在では「わき見をする」という意味合いで余所見が用いられています。
その一例として、余所見による、わきみ運転があります。
まわりの風景に気を取られるほか、スマホのゲームに夢中になってしまい、安全運転ができない状況をあらわします。
楽しいおしゃべりに気を取られて危ない事故を起こさないように、気を付けたいものです。
「余所見」の言葉の使い方や使われ方
「余所見」はこのように使われています。
・『先生の話が退屈だったため、余所見をして窓の外を眺めていた』
・『余所見運転だけは気を付けてね。安全運転が第一だよ』
・『うっかり余所見をしている間に、包丁で手を怪我してしまった』
「余所見」とは、しなくてはいけない作業を放り出して、別のことに意識が向いてしまうこと。
わき見をすることです。
そのため緊張感がないシーン、他人に安全運転を促したいときに使います。
気の緩みからうっかりミスをしないように注意したいものです。
「余所見」の類語や言いかえ
「余所見」の類語には、次の言葉もあります。
・注意散漫
・脇見
・横見
注意散漫とは気持ちがゆるんでいて、集中できないこと。
うわの空になってしまう状態です。
このようなとき緊張の糸がぷつんと切れて「脇見」をしやすくなります。
ちなみに横見(よこみ)とは、チラッと目を向けること。
気になってしまい、思わず視線を泳がせることです。
まとめ
「余所見」の意味と使い方をおさらいしました。
「余所見」とは、注意が散漫になること。
わき見をしてしまい、ミスなどを犯しやすくなることです。
安全運転のスローガンに「余所見運転はやめよう」と掲げられることもあります。
気持ちが開放的になるときこそ、危ない余所見には気を付けたいもの。
自分のやるべき仕事、作業に集中したいものです。