この記事では、「功徳」と「後利益」の違いを分かりやすく説明していきます。
「功徳」とは?
「功徳」は、仏教などを信仰する対象者が神や仏に対して死後自己が得をするように善行を積み上げる行為のことです。
その為本来は、「功徳を積む」とするのが正しい日本語で、「功徳がある」などと記載するのは誤りでその理由は、得をするかどうかは対象者が善行を積んでいるかどうかおよび仏教などを信仰しているかどうかなどによります。
「功徳」の使い方
「功徳」は自らが進んで対象となる神や仏に対して善行を積む場合用いる言葉で、宗教を信仰しているものが用いる言葉です。
善行を積むことで、死後得をするという考えが「功徳を積む」という考えです。
「後利益」とは?
「後利益」は現在、生きているものが得を得ることで、善行を積んでいるかどうかは関係なく、得をすることができるエリアに赴くことを「後利益」と言います。
「後利益」は、得るもので得をすることができるエリアに赴くことで成立しますが、「後利益」は対象者が得を感じるか感じないかという感覚的な意味でもあります。
「後利益」の使い方
「後利益」は、現在生きている対象者が得を感じるか、これから得を感じようとしている場合に用います。
宗教は関係なく、得をするかしないかだけを表す言葉なので「後利益」は得をするかどうかという広い意味で用いることができます。
「功徳」と「後利益」の違い
「功徳」は、宗教などを信仰している人物が、死後得を得るという考えで、生きている間に善行を積み上げていることです。
逆に後利益は、現在生きている人物を対象に得をするかどうかになるため、対象者が生きている人物かそうではないかという違いがあります。
また、「後利益」は、広い意味で対象者を指すことが可能で、宗教関係者ではないものを対象とすることが可能です。
まとめ
「功徳」と「後利益」の違いは、生きている間に仏や紙という存在に対して善行を行うことで自らの死後得となる世界に行けるよう行う行為を「功徳」と呼び、「後利益」は生きているものが得をするまたは得を得ようとする行為です。
両社とも、行為を表す言葉ですが、「功徳」は宗教を信仰する対象者が積み上げて初めて成立する考えで「功徳を積む」と記すのが正しく「功徳がある」と記すのは間違いになります。
「後利益」はもっと広くを対象者としているため、宗教に関係がない人物でも得をしたり、得を感じるようなことがあればその得をしたという行為を「後利益」と呼ぶのです。
もちろん、この「後利益」は宗教を信仰している人物が「後利益がある」と呼ぶことができますが「後利益」は逆に「後利益を積む」とすることはできないです。
なぜなら、「後利益」は自らが進んで得をするエリアに赴くことであるため、経験のように積み上げるものではないため、「後利益を積む」とするのは間違いです。