この記事では、「報恩謝徳」の意味を分かりやすく説明していきます。
「報恩謝徳」とは?意味
「報恩謝徳」は、受けた恩義に対してありがとうと感謝を思う気持ちを持ち続けるという意味です。
この言葉は、故事という物で昔から伝わっている日本語で古くからある言葉の一つになります。
「報恩謝徳」の概要
「報恩謝徳」は、報が幸せを与えることで恩が恵を与えることになり、報恩は、幸せという物を恵みのように与えることです。
その上で、謝徳が自ら持っているプラスになる人格に感謝をすることです。
その為「報恩謝徳」は日ごろから人望があるが故、困っているときに周囲が助けてくれたということになり、逆を返せば、「報恩謝徳」に至らない人物というのは、日ごろの行いが悪い人物だということになります。
「報恩謝徳」の言葉の使い方や使われ方
「報恩謝徳」は、助けてもらったことに感謝する場合に使用する言葉です。
「報恩謝徳」を使った例文
・『先輩方の指導がありここに来るまでに至りました、報恩謝徳の念に堪えません』
この例は、先輩陣営の指導によって成長し、今の自分があることに感謝をしていることを述べています。
「報恩謝徳」は、ありがたいと感謝を持ち続けることにあり、この例の人物は指導を受けることが可能だったという事実を見れば、周囲が助けてあげようと思える人物だったと言えます。
逆に、周囲が助け舟を出さず、自分一人の能力で出世した場合、「報恩謝徳」は成立せず自分の努力だと言い切れるのです。
・『報恩謝徳は聞こえが良いが能力不足者のたわごとである』
この例は、「報恩謝徳」という言葉を使用する人物は、能力が低いが故、周りが助けて成功しただけだという例で、能力が不足している人物が感謝を述べているだけのたわごとだとしています。
なお、「報恩謝徳」は人望があり助けてもらえるため、たとえ能力が不足しているからと言って周囲に助けてもらうことは恥ずべきことではないです。
どちらかというと、助けてもらっていることについてたわごとだと述べる側の方が心が狭いので恥ずべきことであると言えます。
まとめ
「報恩謝徳」は、実は元々は仏教の思想で助けることで対象が成長した際、その感謝を周囲に持つことでさらなる成長を望めるという考えのことでいわば思想です。
この思想を応用したのがビジネスに使用される「報恩謝徳」でこれは、ビジネスで助け舟を貰い、成長した人物が感謝の気持ちを持っていることを周囲に伝えることで成長及び、チーム内の空気を良い方向に進ませる手法です。
逆に、助け舟を出して助けてもらったことについて感謝していることを馬鹿にしてしまう要では人としての心が狭いと言え、ビジネスにおいても同様に心が狭いと判断されるためふさわしい人格を持っていると言えないです。
その為、「報恩謝徳」というのはビジネスにおいては、助け舟を貰って感謝する気持ちを持つことで成長した人物のことを指し、感謝すらしない人物と異なる成長をした人物であると言えます。