この記事では、「安芸」と「備後」の違いを分かりやすく説明していきます。
芸」とは?
「安芸(あき)」とは、「かつて日本にあった山陽道の旧令制国の一つで、現在の広島県西部に当たる地域・安芸国」のことを意味しています。
「安芸」に該当する現在の広島県の地域には、「広島市・呉市・竹原市・大竹市・廿日市市などの全域や三原市・尾道市などの一部」があります。
「安芸国」は7世紀に設置されましたが、『古事記』には「安芸国」は「阿岐国」と記載されているため、古代の漢字表記は「阿岐」と推測されています。
「備後」とは?
「備後(びんご)」とは、「かつて日本にあった山陽道の旧令制国の一つで、現在の広島県東部に当たる地域・備後国」のことを意味しています。
「備後」に該当する現在の広島県の地域には、「府中市・庄原市・世羅郡などの全域や福山市・尾道市・三次市などの大部分」があります。
「備後」は7世紀後半に、吉備国(きびのくに)を「備前国(さらに美作国も再分割)・備中国・備後国」に三分割して生まれました。
その歴史的由来から平安時代に書かれた『和名類聚抄』では、「備後国」を「きびのみちのしりのくに」と読んでいます。
「安芸」と「備後」の違い!
「安芸」と「備後」の違いを、分かりやすく解説します。
「安芸」も「備後」も「山陽道に属していて現在の広島県に該当する日本の旧令制国の一つ」ということでは共通していますが、「安芸」というのは「旧安芸国=広島県西部(広島県の広島市・呉市・竹原市・大竹市・廿日市市・安芸高田市・江田島市などの全域や三原市・尾道市などの一部)」を意味しています。
「安芸」に対して「備後」のほうは、「旧備後国=広島県東部(広島県の府中市・庄原市・世羅郡などの全域や福山市・尾道市・三次市などの大部分)」のことを意味している違いがあるのです。
また昔の「安芸」に該当する地域の人々は「熱し易く冷め易い気質」、「備後」に該当する地域の人々は「堅実で控えめな努力家の気質」と言われている違いも指摘できます。
まとめ
「安芸」と「備後」の違いを説明しましたが、いかがだったでしょうか?
「安芸」とは「かつて日本にあった旧令制国の一つで、現在の広島県西部・広島市や呉市の周辺に当たる地域」を意味していて、「備後」は「かつて日本にあった旧令制国の一つで、現在の広島県東部・福山市や府中市の周辺に当たる地域」を意味している違いがあります。
「安芸」と「備後」の違いを詳しく知りたい時は、この記事をチェックしてみてください。