「恵体信仰」とは?意味や言葉の使い方、概要(元ネタ)など

「恵体信仰」とは?新語・ネット用語

ネット上でスポーツの話題になったときに見かける独特の表現に「恵体信仰」というものがあります。

この言葉は具体的にどのような意味で使われているのでしょうか。

今回は、「恵体信仰」の意味と類似表現について解説します。

「恵体信仰」とは?意味

「恵体信仰」とは、「恵まれた体格は全てに勝るという考え」を意味する言葉です。


「恵体信仰」の概要

「恵体信仰」「恵体」とは「恵まれた体格」を意味するネットスラングです。

スポーツ競技では生まれ持った体格によってはっきりと優劣が決まることが珍しくありません。

バレーボールやバスケットボールでは高身長の選手が圧倒的に有利ですし、体重無差別で行われる格闘技では体重が重く体も大きい選手のほうが攻撃も防御も優れます。

このように「体格によって有利不利がはっきり表れる以上、後天的に身につける技術やメンタルよりも恵まれた体格を持つ方が信頼に値するという考え」を指して「恵体信仰」と表現します。

「信仰」という言葉でもわかるように「恵体信仰」というのは科学的な証明や論理的な正当性が認められる考え方ではありません。

考え方のひとつとして体格に恵まれている方が有利であるというのは一定の合理性がありますが、現実的には必ずしも体格に恵まれた選手が優秀な成績を収めているわけでなく小さな体で活躍している選手も存在します。

「恵体信仰」という言葉ははっきりとした根拠が無いのに一方的に恵まれた体格だけに価値を見出している様子を揶揄する意味合いが込められた表現です。

元々は大手掲示板の野球関連の話題で登場したのが始まりとされています。

いかにもホームランを打ちそうな立派な体格であるのに実際の打撃は凡打ばかりで見た目を裏切るひどい成績の選手を「恵体糞打」と表現したことから転じて「立派な体格だけを見て一方的に期待すること」「恵体信仰」と呼ぶようになり、現在では野球以外にもさまざまなスポーツで用いられているネット独特の表現です。

「恵体信仰」では肉体作りが最優先されます。

技術や戦術を学ぶよりも筋トレで体を鍛える事のほうが重要だというのが「恵体信仰」の考えですが、現実には体だけ鍛えても技術や中身が伴わなければ結果は出せません。

ある程度の「恵体信仰」なら問題ないのですが思いが強すぎると味方や考え方を誤る原因になるので注意が必要です。


「恵体信仰」の言葉の使い方や使われ方

・『フロントが恵体信仰なので体のでかい選手ばかり指名している』
・『ゴルフのような体格が直接プレーに影響しないスポーツにも恵体信仰の人は存在する』
・『何度裏切られても恵体信仰を捨てる様子が見られない』
・『恵体信仰の彼が体の小さい女性相手に完敗を喫したのは痛快な出来事だ』

「恵体信仰」の類語や言いかえ

・フィジカル頼み
「技術や戦術よりも肉体的な強さを頼りにすること」という意味の言葉です。

スポーツにおける肉体的な強靭さを表す言葉が「フィジカル」です。

「恵体信仰」が生まれ持った体格の立派さを重視するのに対し、こちらは後天的に鍛え上げた肉体の強さを重視する表現です。

・肉体派
「肉体の立派さでスポーツ選手を評価する人」を意味する言葉です。

過去の実績や技術ではなく肉体そのもので優劣をつけます。

アスリート以外にも競馬馬の評価で使われる表現です。

まとめ

「恵体信仰」はネットで誕生したネットスラングの一種ですが、体格を重視する考えそのものは昔からあるものです。

ネット上で広まった言葉が一般にも浸透したケースは過去にも例があるのでこの表現もテレビのスポーツ中継で当間に使われる日が来るかもしれません。