この記事では、「憂愁に閉ざされる」の意味を分かりやすく説明していきます。
小説の言い回しを覚えていきましょう。
「憂愁に閉ざされる」とは?意味
「憂愁に閉ざされる」とは、気弱になり沈んでしまうこと。
悲しい気持ちになってしまい、何もやる気が起こらないことです。
「憂愁に閉ざされる」には「憂愁(ゆうしゅう)」という、見慣れない熟語が含まれています。
憂愁とは、気分がすっきりしないこと。
明るい気持ちが埋もれてしまい、落ち込んでしまう様子をあらわしています。
「憂愁に閉ざされる」ようになると、これまで楽しいと感じていたことも楽しくなくなって、笑顔を忘れてしまいます。
人と会うことが億劫に思えて、心が風邪をひいたようになります。
憂愁に閉ざされてしまったら、好きな音楽を聴いたりアロマを焚いたり美味しいものを食べて、リラックスした自分のための時間を過ごすことが大切です。
「憂愁に閉ざされる」の概要
「憂愁に閉ざされる」は、ドイツのズーデルマンが書いた『憂愁夫人』に出てくる一節です。
タイトルになっている憂愁夫人は、架空の人物のこと。
憂愁夫人に取りつかれると暗い生涯を送ることになるという、少々ホラーめいたストーリーになっています。
物語の中で主人公は、憂愁夫人に呪われてしまいます。
そして仕事も恋愛も上手くいかない、暗い人生を歩むことになります。
けれども最終的には、夫人の呪いがとけて好きな女性と結ばれる、ハッピーエンドが待っています。
どんなに深い悲しみや憂いも、いつか必ず消えて無くなるもの。
『憂愁夫人』は明けない夜はないことを教えてくれる、偉大な原作となっています。
「憂愁に閉ざされる」の言葉の使い方や使われ方
「憂愁に閉ざされる」はこのように使います。
・『昇格試験に落ちてしまい、憂愁に閉ざされた』
・『嫌なことでも、あったのだろうか。彼女は憂愁に閉ざされたような瞳をしていた』
・『憂愁に閉ざされるような出来事があり、彼の人生は大きく変わっていった』
「憂愁に閉ざされる」は気持ちが落ち込む様子を、感傷的に表現した言葉です。
沈んだ気持ちを言い表したいときに用います。
「憂愁に閉ざされる」の類語や言いかえ
「憂愁に閉ざされる」の類語には、次のような言葉もあります。
・落ち込む
・しょんぼりする
・意気消沈
・物憂い
意気消沈(いきしょうちん)とは、勢いが無くなってしまい気持ちが沈むこと。
物憂い(ものうい)は、気だるい気持ちになってしまい億劫なことです。
いずれも心がすっきりと晴れない、湿っぽい様子のことです。
まとめ
「憂愁に閉ざされる」の言葉の意味や、使い方を学んできました。
「憂愁に閉ざされる」とは、気持ちが落ち込んでしまい何もやる気が起きないこと。
消極的な気分ばかりが先に立ってしまうことです。
「止まない雨はない」という格言にあるように、どんなに暗い気分も永遠に続くものではありません。
冷たい冬が来たら、暖かい春がめぐり巡ってくるように、いつも心に希望は持っておきたいものです。