この記事では、「懐疑的」と「猜疑的」の違いを分かりやすく説明していきます。
「懐疑的」とは?
「懐疑的」は、対象者に対して疑いの目を向けていることで、疑い理由については信頼できないが故対象者を疑っているのです。
懐疑という部分が相手を疑うことで、的とあることから対象のことを疑いの的としており標的としてみており、疑いが晴れるまで照準を合わせた状態化にあります。
「猜疑的」とは?
「猜疑的」は、相手を妬んだうえで疑いの目を向けています。
猜疑という部分の猜が相手を妬むことで妬んだうえで疑いの目を向けているのです。
なお、この言葉は標的として対象を見ていますので妬みの部分は実は疑いが晴れても残り続けるため、「懐疑的」より厄介であると言えます。
「懐疑的」と「猜疑的」の違い
「懐疑的」と「猜疑的」の違いは、対象をただ疑うだけか、妬みが入るかです。
「懐疑的」は、疑いの目で見るだけですが、「猜疑的」は対象を妬んだうえで疑ってます。
「懐疑的」の例文
・『○○という選手の実力はもはや一流選手といえず、観客も彼の実力を懐疑的に見ている』
この例は、○○という選手の実力が実は一流の選手ではないのではないかという疑いの目で見ているという例です。
「懐疑的」は単に疑いの目で見ているだけですので、このケースの場合、まだ選手は実力がある選手なの?と周囲に疑問を持たれているだけになります。
これが「猜疑的」になると実力もないのに有名選手気取りという意味になり観客からは妬みと疑問をぶつけてくるのです。
「猜疑的」の例文
・『あの程度の実力で社長候補とは、さすがに猜疑的にならざるを得ない』
この例は、社長となる人物の実力に疑問があり、かつ実は社長という立場に近いのはおかしい、と妬みが入っています。
恐らく社長候補となる人物は現社長の親族であると仮定した場合、納得がいく部分がありますが、いずれにしろ実力が不足している物が社長となる点については納得できない部分をこの人物は表しています。
まとめ
「懐疑的」と「猜疑的」の違いは、疑いの目に妬みという人間が持つマイナスの感情をむき出しにしたものがあるかどうかです。
実は、疑う、ということ自体は実のところマイナスではなく、疑われる側に問題があります。
何故なら、疑われる側は背信行為を行っている場合、疑った人物は正しかったと証明されるためマイナスではありません。
ですが、妬みが入れば話は別で、疑った人物が背信者だったとしてもそれを許さないわけですからマイナスの感情は続きます。
しかも妬みは対象が消滅するか、妬む感情を持つ者の前から消えない限り続きますので「猜疑的」という妬みが入る疑う心の方が厄介です。
無論、「懐疑的」に「猜疑的」は両者ともに対象者を疑うことですが、妬むか妬まないかを含めると妬む側の方がたちが悪く、言い方を悪く言えば疑うことしかしません。
何故なら、疑いの目を向けた人物がうらやましいからで、対象の地位を落とすことに対して全力を注ぐため厄介なのです。