「是非に及ばず」の意味とは?
「是非に及ばず」は、学者による解釈では「是非を論ずるに及ばない」と言っている表現だと言われています。
先のように、戦国武将の織田信長が家臣の明智光秀に謀反を起こされたと知った際に発した言葉として有名になっています。
「是非」は「良し悪しの判断」となる言葉で、「良し悪しを論じる必要はない」と解釈でき、簡単に表現すれば「分かっていた」、「仕方がない」などといった意味になる言葉です。
「是非に及ばず」の読み方
「是非に及ばず」は、「ぜひにおよばず」と読んでください。
昔の言葉遣いなので、現在では古くさくも感じるものの、とても迫力に満ちた表現なのは、鬼気迫った際に発せられた言葉だからこそでしょう。
「是非に及ばず」の表現の使い方
「是非に及ばず」の表現の使い方を紹介します。
信長が討たれた本能寺の変が起こった際に、その信長はまず誰の旗印(当時はこれで誰か分かりました)なのかと確認させ、それが明智光秀の陰桔梗の紋だと分かった時にこの言葉を発したとされています。
相手が明智光秀であれば(それまでの二人の関係などから)「仕方がない」、もしくは薄々「分かっていた」といった意味で使った言葉だという解釈が一般的のようです。
信長が「是非に及ばず」と言ったのを聞いたのは誰?
「是非に及ばず」という言葉を直接信長から聞いたのは、側近だった森蘭丸だという説や、他のこの時に生き残った家臣だという説があり、定かではありません。
ですが、歴史に残っているということは、生き残った誰かから伝わったものだと考えられます。
森蘭丸は信長と共に明智勢に本能寺で討ち取られており、最初に聞いたとしても、そこから誰かに伝えていないと話が合いません。
「是非に及ばず」の類語と解釈
「是非に及ばず」と似た意味で使われることのある言葉です。
これらは現在でもよく見聞きします。
「論ずるに値しない」【ろんずるにあたいしない】
「(それについて)語る気にもならない」という意味で使う表現で、「(その後に発すべき内容は)分かっているだろう」という場合に用いられることが多いです。
「(何を論じようと)仕方がない」という解釈もできるので、類語の1つとして挙げることができます。
「論を俟たない」【ろんをまたない】
こちらは「論ずるまでもない」と解釈され、言い換えれば、「(そんなことは)当然だ」、「分かり切っている」となります。
こちらも「是非に及ばず」の解釈の1つに近い意味で使うことができます。
「是非に及ばず」と「是非もない」は同じ意味?
この「是非に及ばず」という形が有名ですが、信長が登場する小説やドラマによっては「是非もなし」と使っていることがあります。
この「是非もなし」という形でも解釈は一緒で、これを現代風に「是非もない」としても意味は変わりません。