「水掛け論」とは?意味や使い方を解説

意味と使い方

「水掛け論」

水掛け論は、結論が出ない時に使われることが多い言葉です。

この言葉が何故そのように使われるのかは、語源と言われている「狂言」の内容から分かります。

その内容とは、日照りが続いていた最中に舅と婿の二人がお互いの田んぼに(1本しかない水源から)水を引こうとして争ったというもので、共に譲り合う気は全くなく、最後には取っ組み合いにまで発展したという話で、ここから「お互いに譲らない」状態の表現として使われるようになりました。

「水掛け論」の意味

水掛け論は、お互いに「言った」「言っていない」と解釈が噛み合わず、意見が全く噛み合わない時に使われます。

そのような状態に対して、「これでは『水掛け論』だ」と使います。

大抵の場合、どちらかが譲れば簡単に解決してしまうものですが、どちらもそれをしようとしない為、この「水掛け論」の状態が長引くことになってしまうのです。

対象が重要な契約の場合、どちらも簡単に引く訳にはいきません。

しかし、そのままではいつまで経っても解決の日を見ないので、例え自分側が絶対に正しいと思っていても、ある程度の譲り合いは必要だと言えるでしょう。

「水掛け論」の言葉の使い方

水掛け論は、そういった状況を表現する為の言葉です。

それ以外の使い方はないので、双方が自分勝手な為に収拾が着かなくなっている状態で、それも、「ほとんど正反対のことを言い合っている」場合に使います。

その為、この言葉を聞いた時は、双方の間でそのような状態になっているのだと考えて構いません。

「水掛け論」を使った例文・短文(解釈)

水掛け論を使った例文や短文です。

どれも、お互いに引かない形になっているのが分かると思います。

「水掛け論」の例文1

「絶対に言っていないことを言ったと言われて、水掛け論になっている」

これこそが、「水掛け論」になる典型的な例だと言っていいでしょう。

または、自分側が言ったことを言っていないと言われる逆のケースで、これら以外で滅多に水掛け論にはならないものです。

お互いがそう思っている場合と、片方が本当は違うと分かっているのに言い張っている場合がありますが、第三者からはそのどちらなのか分からないことが多いです。

「水掛け論」の例文2

「水掛け論だと言われても、絶対に譲る気はない」

どちらもこのように意地になってしまうと、解決は遠いと言わざるを得ません。

「水掛け論」と呼ばれることになる場合の特徴として、お互いに「自分の方が正しい」と証明できる証拠のようなものがないことがほとんどです。

「言った」「言わない」といった議論は、その会話の録音などがあれば一発です。

よって、本当に大切な話はこっそり録音でもしておいた方がいいでしょう。

例えると、自動車事故に対するドライブレコーダーがそれに近いと考えられます。

「水掛け論」の例文3

「どれだけ水掛け論を続けても、その為の時間が無駄なだけだ」

水掛け論となると、ただ時間だけが無駄になってしまうことも少なくありません。

ですが、そうとは分かっていても、簡単には譲れないこともあるでしょう。

お互いにそのように意固地になってしまうと、誰かが仲裁にでも入ってくれない限り、一向に何も進まないかも知れませんが、そのような状態こそが「水掛け論」による結果(何も終わってはいませんが、便宜上で使っています)です。

「水掛け論」の例文4

「水掛け論になっていた件を改めて仕切り直すことにした」

水掛け論となってしまった場合には、この例文のように、そこで一旦その議論などを止めて仕切り直すことができればそれが一番です。

もしくはどちらかが譲りでもしない限り、「水掛け論」になった際の解決は難しいものです。

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意味解説辞典