「照れる」と「恥ずかしがる」の違いとは?分かりやすく解釈

「照れる」と「恥ずかしがる」の違い違い

感情を表す言葉として代表的なのが、喜怒哀楽というものを聞いたことがあると思います。

しかしながら人間はとても複雑で、他の動物にはない感情があるといいます。

その一つが『羞恥心』というものです。

本当はうれしいのに、どこか恥ずかったり、照れ臭かったりして素直な感情を出せないというのは面白いことに人間にしかない特別な反応です。

ところで、『照れる』という言葉や『恥ずかしがる』という表現は誰しもが使う言葉ですが、具体的にどの様な時に使い分けるか説明してくださいといわれると戸惑われてしまいませんでしょうか。

今回はこの人間独自の感情である2つの表現について振り返ってみましょう。

この記事では「照れる」「恥ずかしがる」の違いを分かりやすく説明していきます。

「照れる」とは

この単語は『褒められたリなどして気恥ずかしく感じてしまう』という意味を表します。

ここでのポイントは『褒められたリなど』という部分です。

どちらかというと褒められたリ、好意を持たれたりなどプラスの評価を投げかけられた時に使う言葉です。

例えば、意図せず、きれいな女性やかっこいい男性に好意を持たれたことを人づてに聞くと戸惑いながらも『照れる』という感情が生まれがちです。

よく恋愛や青春ドラマなどでこの様なシーンを見たことのある方は多いのではないでしょうか。


「恥ずかしがる」とは

一方こちらは『何かしらの事象や状況に対して体裁悪くなってしまう』ことを指した単語です。

この言葉で注意したいのは『プラスの評価もマイナスの評価でも感じることがある』という部分です。

これはどの様な状況でしょうか。

例えば、プラスの状況で言うと好意を持たれた状況を知ってモジモジしてしまうのを『恥ずかしがる』と表現します。

反対に、自分の欠点や失敗、過失などを自覚してしまい、なんともバツが悪くなってしまう時にも『恥ずかしがる』を使います。

例えば『テストの点数が悪く、成績表を見せるのを恥ずかしがる』などです。


「照れる」と「恥ずかしがる」の違い

この二つは『プラスの評価や感情を向けられた時に出る気まずさ』か『プラスでもマイナスでもそれを自覚してしまった時に感じる気まずさ』かで分けることが出来ます。

汎用的的なのは『恥ずかしがる』です。

『照れる』はマイナスの状況に対しては使いません。

よくギャグ漫画やコメディなどで、過失に対して『照れて』しまい、『そこは照れるところじゃない』とツッコミを入れられているシーンを見たことがある方も多いと思いますが、ここが『恥ずかしがる』との違いとも言えます。

まとめ

如何でしたでしょうか。

今回は人間の持つ羞恥心に関する表現である、『照れる』と『恥ずかしがる』について見てきました。

こう見てみると人間の感情というものは一概にプラスかマイナスかを決めるのは文脈や背景を見ない限り判断ができない複雑なものであるということが分かります。

今回の2つだけではなく、例えば『泣く』という行為もうれしくて泣くのか、悲しくて泣くのかなどとても複雑です。

今回の2つ以外にも人間独特の感情表現がありますので是非確認してみて下さい。

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