この記事では、「煩悩」と「本能」の違いを分かりやすく説明していきます。
「煩悩」とは?
「煩悩」【ぼんのう】とは、人の心を悩ませたり体を苦しめたりする、心のはたらきや汚れのことです。
仏教用語のひとつで、「苦しめる」という意味のサンスクリット語を訳したものです。
ほかにさまざまな呼び名があります。
「煩悩」は煩わせ悩ますという漢字があてられ、仏教上ではこれを「生きとし生けるものの心身を煩わせたり悩ませたりする、心のはたらきや汚れ」と教えています。
また「煩悩」について「人が清らかに生きていく上での妨げになるもの、人が苦しみを感じる原因である」「悟りとは、煩悩から解放されることである」と説いています。
「煩悩」とは、いわば人に備わる欲求、執念、妄想のような感情のことです。
仏教上では98個ある、あるいは108個ある、または無数にあるともいわれますが、根源とされるのは「どん欲さ「怒りやねたみ」「道理にうといこと」の3つ(三毒)です。
仏教では、特に三毒を克服すべきと説いています。
大みそかの恒例行事として「除夜の鐘」で鐘を108回つくのは、その年の「煩悩」をすべて振り払う意味があるとされます。
「煩悩」の例文
・『受験中は煩悩を捨て勉強に打ち込むと誓う』
・『煩悩にまみれ、堕落した生活を送る』
「本能」とは?
「本能」【ほんのう】は、動物が生まれ持つ能力や反射的に怒る欲求のことです。
「本能」は、人間も含めすべての動物が兼ね備えている能力や欲求で、生命を維持するため、種を保存するために欠かせない特性とされています。
主な「本能」には食欲や性欲、母性本能などがあり、動物が食糧を得るために捕獲行動をとったり、子孫を残すためにオスとメスの間で求愛行動がおこなわれたりする現象などが知られます。
これらの能力や欲求は、誰かに教えられなくても自律的にできるようになるもので、意志や感情、人間の理性に関係なく反射的にわき起こるのが特徴です。
「本能」の例文
・『鳥には帰巣本能があるため、遠くまで移動しても迷子にならず戻ってくることができる』
・『飼い主が仔犬に近づくと母犬がうなるのは、子を守ろうとする本能によるものだ』
「煩悩」と「本能」の違い
「煩悩」と「本能」の違いを、分かりやすく解説します。
「煩悩」は仏教用語のひとつで、人の心を悩ませたり体を苦しめたりする、心のはたらきや汚れを指しています。
人に備わる欲求、執念、妄想などとされます。
「本能」は、あらゆる動物に生まれつき備わっている欲求や能力です。
生命の維持や種の保存をするために欠かせない動物の特性で、心のはたらきに関係なく反射的におこるものです。
食欲、性欲などがあります。
広義には「煩悩」も「本能」とは同じものにあたりますが、「本能」は全ての動物が持っていることに対し「煩悩」は人間しか持っていないところが異なります。
また「本能」は生きるために欠かせないものですが「煩悩」は生きる上で特に必要ないもの、とされています。
「煩悩は人の苦しみの原因になるため、清らかに生きるためには克服する必要がある」との教えがあるためです。
まとめ
「煩悩」と「本能」は、どちらも欲求のことを指しており、広義には同じものにあたります。
ただし「煩悩」は人間だけが持つ心のはたらきであるところが「本能」とは違っています。
このようにニュアンスには違いがあるので、場面に合わせて使い分けていくことが大切です。