この記事では、「猜疑心」と「懐疑心」の違いを分かりやすく説明していきます。
「猜疑心」とは?
「猜疑心」は、「さいぎしん」と読みます。
意味は、相手の言動や行動を疑い、その中に、妬み嫉みが加わります。
「猜」には、ねたむ、そねむ、といった意味があり、ねたむ、疑う、心と書いて「猜疑心」となります。
「猜疑心」の場合、単に人を疑うだけではなく、その中に、妬みや嫉みが隠れている、そんな心となります。
このような意味から「猜疑心」を別の言葉で言い換えると、「警戒心」や「疑いの心」、「疑心暗鬼」、「疑念」、「不信感」などとなります。
「猜疑心」の使い方
相手のことを疑う、妬む、気持ちが強い人のことを「猜疑心の強い人」や「猜疑心の塊」といった表現方法で表します。
そのほか、相手を疑う気持ちを持つことを「猜疑心を抱く」と表現するほか、相手を疑ってしまう自分に悩み苦しむ状態を意味する「猜疑心に苛まれる」などがあります。
「懐疑心」とは?
「懐疑心」は、「かいぎしん」と読みます。
意味は、何かを疑う心、信用できないと思う気持ち、などとなります。
「懐疑心」の「懐」には、いだく、という意味があり、疑いの心をいだく、という意味が漢字からもわかります。
このような意味から、「懐疑心」を別の言葉で言い換えると、「疑惑」、「疑問」、「半信半疑」、「疑問」、「不安定」などとなります。
「懐疑心」の使い方
何かを疑う心、信用できないと思う気持ち、などを意味する「懐疑心」。
そんな気持ちを持つことを「懐疑心の塊」と表現するほか、「懐疑心を持つ」などといった使い方があります。
「猜疑心」と「懐疑心」の違い
同じ「疑う心」を意味する「猜疑心」と「懐疑心」ですが、その疑う心の中身が少し異なります。
「懐疑心」の場合、単に疑う、信用できないと思うといったのみとなりますが、「猜疑心」には、そんな気持ちに妬みや嫉みが加わります。
その、妬みや嫉みが加わるだけで、同じ疑いの心でも、ニュアンスが大きく異なってくると言えるのです。
「猜疑心」の例文
・『私は、人を疑ってばかりの猜疑心の塊です。』
・『猜疑心が強い私は、どうしても、人付き合いが苦手です。』
・『馴れ馴れしく近寄ってくる営業マンに無理に商品を売りつけられるのではないかと猜疑心を抱く。』
・『久しぶりに会った彼女の態度がよそよそしく、猜疑心を抱いている。』
「懐疑心」の例文
・『監査という仕事は、懐疑心を持ち臨まなければならない。』
・『私は、常に懐疑心を持ち、不正の発覚などに努めています。』
・『あなたのお陰で、私の心の奥にあった懐疑心はなくなりました。』
・『上手に世の中を渡り歩くためには、時には懐疑心も必要ではないかと私は思う。』
まとめ
以上が、「猜疑心」と「懐疑心」の違いです。
妬みや嫉みが加わるか、そうでないか、によって、「猜疑心」と「懐疑心」をうまく使い分けることが必要な言葉となります。