「琴線に触れる」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「琴線に触れる」とは?意味と使い方

この記事では、「琴線に触れる」の意味を分かりやすく説明していきます。

「琴線に触れる」とは?意味

「琴線に触れる(きんせんにふれる)」とは、心の奥で感動や共鳴する気持ちを、琴(こと)の糸に例えた言い方です。


「琴線に触れる」の概要

「琴線に触れる」という言葉の由来は、中国の故事から来ています。

「琴の音を聴くことは、まるで心の中を見ているようだ」と言うようなことから、「琴線に触れる」が、心の奥で感動や共鳴する気持ちという意味を表すようになりました。


「琴線に触れる」の言葉の使い方や使われ方

「琴線に触れる」の言葉を使った例文をいくつかご紹介します。

『この曲を聴くと、私の心の琴線に触れるようで、自然と涙が溢れてきます』、『彼の歌は琴線に触れるものが多く、私にとっては素晴らしいアーティストです』、『私の琴線に触れるような作品で感動しました』『怒りの琴線に触れる』と言う言葉があるようですが、これは本来の「琴線に触れる」の意味とは異なっています。

「琴線に触れる」の類語や言いかえ

「琴線に触れる」と似たような言葉としては、「感銘を受ける」「感動する」「心に響く」「印象深い」、または「胸を打つ」などが挙げられます。

まとめ

「琴線に触れる」ようなものとの出会いは、探しても見つかるものではありません。

自分の心の「琴線に触れる」ような出会いは、思いがけない時にやってくるようです。

このような素晴らしい出会いは、感銘や感動を味わうことができますし、それに対して、興味を抱くことにもなるでしょう。

忙しい毎日を送っていると、どうしても感情が後回しになってしまいがちです。

忙しいと言う字は心を亡くすと書きますが、その状態がずっと続くようでは、感動的な何かに出会うことは難しくなってしまいます。

人生において、大きな影響になるのが感情だとも言えるでしょう。

「琴線に触れる」ような素晴らしい体験をすることは、人生をより豊かにしてくれます。

そして、そこには幸福感が生まれます。

幸福感が高いと、充実感が増えますし、より運気も好転しやすくなります。

これらは目に見えないものですが、自分の人生を良くしていくかどうかは、この目に見えない感情が影響していると言っても良いでしょう。

人は幸せを求めて、さまざまな活動を行ってきました。

しかし、もしかしたら、それが単に目に見えるものだけを追い求めてしまう結果になっているかもしれません。

本来の目的を見失ってしまい、本末転倒な結果になっていたのだとしたら、それはとても残念なことです。

便利な世の中になれば、幸せになれると思っていたことが、実は時間の無駄が増えてしまい、結果的に時間に余裕がなくなってしまっています。

いつも時間に追われているような状態では、幸せを感じる余裕もなくなってしまいます。

あれもこれもとやろうとするのではなく、自分にとって本当に大切なものや必要なもの以外は手放す勇気も必要です。

案外、不便でアナログなことが、自分にとって心地よい時間だったりするかもしれません。

それを自分自身で見つけていくようにしたいものです。

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