この記事では、「碩学の徒」の意味を分かりやすく説明していきます。
「碩学の徒」とは?意味
「碩学の徒」の読みは「せきがくのと」です。
その意味としては「修めた学問の幅が広く深い人達や仲間達」を指す言葉です。
「碩学」は「修めた学問の幅が広く、かつ深いこと、およびその人」を意味し、また「徒」には「その仲間や、その同類の人」との意味があり、「碩学の徒」は冒頭の意味となるのです。
「碩学の徒」の概要
「碩学」と言う言葉は、あまり使われる事のない言葉で馴染みがない言葉と言えるでしょう。
しかし前項で記した「碩学」の意味から、類語として「博学」を思い浮かべられた方も少なくないでしょう。
確かに「博学」は類語ですが、こちらは「広い分野にわたり知識が豊富なこと」を指す言葉で、「碩学」に含まれる「知識の深さ」のニュアンスが少ないことと、また「碩学」は、そうした人を指す事があるのに対し、「博学」には、そうした人を指す使い方はなく、人を意味する場合には「博学な人」のように、後ろに必ず人を表現する言葉が続く点も異なります。
また「浅学」と言う言葉もありますが、こちらの言葉の読みは「せんがく」で、意味は「学問や知識が未熟なこと、およびその人」です。
自分の事を謙遜して使われる言葉です。
謙遜して使う言葉とは言え、意味は「碩学」と正反対であり、また読みも「碩学=せきがく」と「浅学=せんがく」と似ているので、間違えないようにする必要があると言えます。
「碩学の徒」の言葉の使い方や使われ方
「碩学の徒」の言葉は、『かつて比叡山には仏教の修行をする碩学の徒が集まり、後世に残る多くの宗派の開祖が鎌倉時代に輩出しました。
これは最澄が自由に仏教を研究し学ぶ事を許した事が大きい要因です。』や『イギリスのあの有名大学には、世界中から碩学の徒が集り、お互いに研鑽を図っています。』や『碩学の徒は、超一流の人の所に集まると言え、この研究所からノーベル賞級の成果が多数出ているのも頷けます。』の様に使われます。
「碩学の徒」の類語や言い換え
「碩学」の類語としては、「博学」や「顕学」や「篤学」や「有識」などが挙げられ、「碩学の徒」の言い換えとしては、「博学の徒」や「顕学の人達」や「篤学の人々」や「有識者達」などとするのが良いでしょう。
まとめ
「碩学の徒」の読みは「せきがくのと」です。
その意味としては「修めた学問の幅が広く、かつ深い人達や仲間達」を指す言葉です。
「碩学」の類語としては、「博学」があり、こちらの方が馴染みある言葉でしょうが、「碩学」に含まれる「知識の深さ」のニュアンスが少ない点が異なります。
また「碩学=せきがく」に読みが似た「浅学=せんがく」と言う言葉もありますが、こちらは謙遜して使われる事の多い言葉ですが、意味は「学問や知識が未熟なこと」で正反対の意味です。
従って、読みを間違えたり混同して使わぬよう注意が必要と言えます。