この記事では、「穿ち過ぎ」の意味を分かりやすく説明していきます。
「穿ち過ぎ」とは?意味
「穿ち過ぎ」の「穿つ」の読みは「うがつ」です。
その意味には「穴を開けたり、深く掘ること」と「ものごとの本質を的確に言い表すこと」の2つがあります。
2つ目の意味は、深く掘り下げて真実に辿り着くことから来ているものと言えます。
「穿ち過ぎ」の意味は、上記の「穿つ」ことをやり過ぎると言う事で、「穿つことを狙いすぎて本質から離れたり、逆に遠ざかってしまうこと」となります。
すなわち、少し長くなりますが「ものごとの本質を的確に言い表すことを狙い過ぎて、本質から離れたり、逆に遠ざかってしまうこと」とを意味します。
「穿ち過ぎ」の概要
「穿ち過ぎ」の「穿つ」の意味は、前項に記した通りですが、私達はしばしば「穿った見方」と言った慣用句として耳にする事が多いと言えます。
この「穿った見方」は、「ものごとの本質や背景を見通そうとする見解や考え方」を意味する言葉で、肯定的な言葉と言えます。
しかし最近では、例えば『穿った見方かも知れませんが、、、、』と前置きして話されるケースが多く、これは「穿った見方」を「ひねくれた見方や、斜から見た見方」などを指す言葉だと誤解されている事によるものです。
こうした誤解・誤用をしている人は、最近では本来の意味を正しく理解して使っている人よりも多いほど一般化していると言えます。
この理由としては、いくつか考えられますが、単に「穿つ」を「疑う」の類語と誤解されているケースや、「穿ち過ぎて、本質からずれた見方」のネガティブな意味が、いつしか「穿った見方」の意味だと誤解されたのだろうと思われます。
言葉は生き物であり、誤用が広まり一般化し、いつしか誤用が本来の意味を駆逐すると言ったケースも少なくありません。
この「穿つ」や「穿った見方」や「穿ち過ぎ」も、こうした言葉の例と言えます。
現在は、誤用している人の方が多くなっていますが、正しく理解して使用している人もいる状態です。
従って、こうした言葉をやり取りする場合には、いずれの意味で使っているのか、十分注意して使う必要があると言えます。
「穿ち過ぎ」の言葉の使い方や使われ方
「穿ち過ぎ」は『彼の意見は穿ち過ぎで、いつしか本質から外れている。』や『彼は何かにつけて穿ち過ぎるため、その意見や考え方が普通の人には受け入れられないと言えます。』の様に使われます。
「穿ち過ぎ」の類語や言い換え
「穿ち過ぎ」の言葉は、「深読みし過ぎ」や「深いけれど的外れ」や「勘ぐり過ぎ」などと、使用シーンに応じて言い換える事が出来ます。
まとめ
「穿ち過ぎ」の意味は、「ものごとの本質を的確に言い表すことを狙い過ぎて、本質から離れたり、逆に遠ざかってしまうこと」とを意味します。
ちなみに、「穿つ」と言う言葉は、「穿った見方」の慣用句として見聞きする事が多いですが、この言葉の意味は「ものごとの本質や背景を見通そうとする見解や考え方」です。
しかし「ひねくれた見方や、斜から見た見方」と誤解している方が多く、使用する場合には注意が必要です。