「耳を揃える」と「足を揃える」の違いとは?分かりやすく解釈

「耳を揃える」と「足を揃える」の違い違い

この記事では、「耳を揃える」「足を揃える」の違いを分かりやすく説明していきます。

「耳を揃える」とは?

「耳を揃える」とは、全額を不足なくそろえることを意味します。

大判や小判の縁を揃える意からできた言葉です。

食パンの縁の部分を「耳」と呼ぶように、ものの縁を「耳」と呼ぶことがあります。

大判や小判の縁を揃える、つまり何枚もの大判や小判が重なっているところが想像されます。

何枚もの大判や小判があるということは、全額が不足なくそろっていることが考えられます。

大判は、天正16年、豊臣秀吉のころにできたとされています。

それから江戸時代ころまで大判や小判が利用されており、明治7年に新貨幣への変換レートが定められました。


「足を揃える」とは?

「耳を揃える」という言葉があるなら、「足を揃える」という言葉もあるだろうと考えたくなりますが、「足を揃える」という言葉はありません。

しかし、「足並みを揃える」とはいいます。

「足並みを揃える」は、複数人が同じ歩調で進むこと、考えや行動を同じにすることを意味します。

「足」はくるぶしから下の部分のこと、同じ「あし」という読み方ですが「脚」は太ももの付け根の部分から足首までを指しています。


「耳を揃える」と「足を揃える」の違い

「耳を揃える」は、全額を不足なくそろえることです。

大判・小判の縁を揃える意から、このような言葉が生まれました。

「足を揃える」という慣用句はありません。

一般的に「足を揃える」というと、くるぶしから下の「足」を同じ方向に向けてピッタリ揃えることを意味します。

まとめ

「耳を揃える」という慣用句はありますが、「足を揃える」という慣用句はありません。

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