この記事では、「鬼才」と「奇才」の違いを分かりやすく説明していきます。
「鬼才」とは?
「鬼才」は(きさい)と読みます。
「鬼」と言う漢字が使われているので、目にすると怖いような印象を受ける言葉です。
しかしこれは「人離れした素晴らしい才能」や「人間とは思えないくらいすごい能力」を表現する言葉です。
「まさに鬼才と言われるだけあって、彼のピアノのテクニックは素晴らしい」「鬼才の若き体操選手」など「鬼才」の2文字が文章に加わることで、才能が飛び抜けていることが良く伝わってきます。
このように何らかの才能や能力について「鬼才」と評価されるのは、この上なく喜ばしく誇れることです。
「奇才」とは?
「奇才」は(きさい)と読みます。
この言葉は「奇」と言う感じが使われています。
「奇」は訓読みで「奇しい」(あやしい/めずらしい)となり、普通とは違うことを意味します。
つまり「奇才」は普通とは違う能力や才能を示す時に使う言葉になります。
今までには聞いたことがないヴァイオリン演奏する音楽家や、見たことないような斬新な建造物を設計した建築家などは、「奇才のヴァイオリニスト」や「鬼才の建築家」などと言われるでしょう。
この場合には必ずしも素晴らしい能力だと言っているわけではなく、他とは全く違う、非常にユニークだとの意味合いが強くなります。
個性を重んじる人にとっては「奇才」と言う褒め言葉は、非常に嬉しいかもしれません。
「鬼才」と「奇才」の違い
「鬼才」と「奇才」の違いを、分かりやすく解説します。
「鬼才」と「奇才」はどちらも(きさい)と同じ読み方をします。
またどちらの言葉も「素晴らしい才能や能力」を褒める時に使うので、漢字で書く場合に「鬼才」なのか、それとも「奇才」と書くのか迷うこともあります。
しかし「鬼才」と「奇才」が持つニュアンスの違いを理解することで、どちらの漢字を使うのかが明確になります。
「鬼才」はとても鋭く優れた才能や能力を表現するのに適しているのに対して、「奇才」は世の中には存在しないような才能や能力を表現するのに適しています。
例えばあるダンサーの踊りが、今まで観たダンサーの中で飛び抜けて上手く、まるで人間とは思えないような素晴らしいもので感動したらな「鬼才のダンサー」との表現が当てはまります。
しかしあるダンサーの踊りが自分の想像を超えてて、他のダンサーとはまるで違っているなら「奇才のダンサー」と表現すると、そのニュアンスがよく伝わります。
いずれにせよ「鬼才」も「奇才」も凡人が持たないような才能や能力を意味しているので、このような素晴らしく、普通とは全く違う才能を持つ人は恵まれているともいえます。
まとめ
「鬼才」と「奇才」は読み方が同じですが、その意味は違いがあります。
また同じような言葉に「天才」もあります。
つまりこの3つの言葉をうまく使い分けて表現できるようにしておくと、素晴らしい才能や能力のことを周囲により正確で詳しく伝えられます。
日本語の能力をアップさせるためにも、同じような意味を持っているけれど、実際には違いがある言葉を使い分ける習慣をつけておくと良いでしょう。