「魔が差す」
魔が差すは、誰でもそのような状況になる可能性があるだけに、覚えておかないといけない言葉だと言えるでしょう。
この言葉は元は仏教用語で、それが一般にも浸透して使われるようになったという由来がありますが、他の宗教でもこれに似た意味を表す独自の言葉が存在することがあります。
それだけこの「魔が差す」ことは、信仰を積む上で問題となると考えられています。
「魔が差す」の意味
魔が差すとは、「心に悪魔が入り込んだかのように、間違った言動をとってしまう」ことです。
いわゆる「出来心」を起こしてしまった時に、このいい訳が少なくありません。
「自分の本来の意志ではない、ほんの気の迷い」という意味で使うことが多く、その気の迷いを招いてしまった原因が、自分の中に一瞬でも悪魔が入り込んだ為だと解釈してください。
本当にそんなことがあるのかどうかは置いておくとしても、人間は時に考えられない言動をとってしまうことがあります。
そのような時に使う言葉だと覚えておいてください。
「魔が差す」の言葉の使い方
魔が差すは、前述のように元は仏教用語です。
仏教では「魔羅」まら、またはマーラと呼ばれる悪魔が存在しており、これが心に差す魔の正体だと言われています。
そこからこの「魔が差す」という言葉が誕生し、仏教ではご法度の「煩悩」(物欲や金銭欲、性欲などの俗的な欲望の総称)に取り憑かれる状態を表して使われています(宗派によって、解釈が異なります)。
このように、語源となる仏教では、人間の「煩悩」が湧くのは悪魔の仕業だという使い方ですが、一般的には「普段では考えられない言動」をとってしまうのが、その悪魔の仕業だという解釈で使ってください。
尚、本当のその理由は誰にも(本人にすら)分かりません。
「魔が差す」を使った例文・短文(解釈)
魔が差すを使った例文や短文です。
仏教以外の宗教で使っている例も挙げていきます。
「魔が差す」の例文1
「つい魔が指すこともあると思うが、犯してしまった罪は罪だ」
何かの罪を犯してしまった時に、それは魔が差した所為だ(自分の本来の意志によるものではない)と表現することがありますが、その人がやってしまったことに変わりはありません。
例えば、そこらに置かれていたバッグを誰も見ていなかったのでつい持ってきてしまった(盗んでしまった)といった時に、この”魔が差した”と使うようなケースが多いと言えるでしょう。
当然ですが、魔が差したにしろ何にせよ、そのような行為は犯罪となってしまいます。
「魔が差す」の例文2
「人間には何故、魔が差すことがあるのだろうか」
これについては、悪魔という存在を認めている宗教ではともかく、潜在意識の中にそのような気持ち(やってはいけないと知っているが、機会があればやってみたいという意識)が少しでもあるからだという研究結果も出ているようです。
しかし、研究結果の1つに過ぎず、これが正しいと決まった訳ではないので、実のところは分かっていません。
「魔が差す」の例文3
「きちんとした人であれば、魔が差すことなどありえない」
そうは言っても、いつその魔が差してしまうか分からないのが人間です。
普段であれば絶対にしないようなことをしてしまったり、言ってしまうようなことは誰にでもある(今までになくても、今度にあるかも知れない)ものです。
「魔が差す」の例文4
「キリスト教で魔が差す原因は、サタンの仕業だと言われている」
仏教では「魔羅が魔が差す原因の悪魔だ」
と書きましたが、キリスト教ではこの「サタン」が原因となる主な悪魔だと言われています(同教では複数の悪魔が存在するとされています)。
世界三大宗教と言われている中のもう1つのイスラム教でも、この「サタン」は代表的な悪魔です。
尚、キリスト教とイスラム教は、「旧約聖書」からの引用の部分では共通した認識も多い宗教です。
この「サタン」と「魔が差す」関係についてもほぼ共通だと考えていいでしょう。