この記事では、「観察」と「洞察」の違いを分かりやすく説明していきます。
「観察」とは?
「観察」とは、物事の状態や変化などを主観を離れて、よく気を配ってみることです。
小学校の夏休みの宿題に、「あさがおの観察」があったと思います。
これは、夏休みの間あさがおを注意して見て、どういった変化があったかなどをノートなどにまとめる宿題です。
夏休みの間にあった変化をノートにまとめるためには、毎日注意をして見ていなければなりません。
植物の成長は早く、1日を目を離しただけでも状態が大きく変わってしまうことがあります。
だからこそ、注意をして見るのです。
そして、対象を見るときには主観を離れています。
あさがおの花が咲いたら「あさがおの花が咲いた」とだけノートに記し、「うれしくて咲いたのだ」など主観的なものは入れません。
このような、主観を入れずに注意深く見ることを「観察」といいます。
「観察」の使い方
物事の状態や変化などを主観を離れて気をつけてみることという意味で使用をします。
実際に起こっていることを見るのであって、想像をすることではありません。
主観は入れません。
「洞察」とは?
「洞察」とは、物事の状態や変化などを主観を離れて注意深く見て、その根本的なものを見抜くことです。
外側に現れているものを見るだけでなく、その奥にあるものを見通すことを意味しています。
ある人をよく見たときのことで考えてみます。
この人は、目の下にクマができていて、顔が青白く、姿勢は猫背でした。
クマができている、顔が青白いといったことが、客観的に見た様子です。
「洞察」は外から見た様子だけでなく、その奥にあるものを見通す意味もあります。
この場合だと、「この人は寝不足だろう」と外から見た様子だけでない奥にある性質や要素などをも見抜くことを意味しています。
「洞察」の使い方
現象を客観的に捉えるだけでなく、その奥にあるものを見抜くこと、という意味で使用をします。
表面からわからないことを知ることです。
単に外から見える現象だけを捉えることではありません。
「観察」と「洞察」の違い
2つの言葉には、物事の状態や変化を注意深く見るという意味があります。
この点は同じなのですが、「洞察」はさらに本質を見抜くという意味も含まれています。
本質は奥に隠れていて、見ただけではとらえにくいです。
この点に違いがあります。
「観察」の例文
・『ボール遊びを犬が楽しんでいるか観察する』
・『夏休みの間ずっとヒマワリを観察する』
・『経過を観察しているところです』
・『観察したことを記録する』
「洞察」の例文
・『環境問題を洞察する』
・『洞察する力が人並み外れている』
・『選手を洞察する』
・『人間の心理を洞察するのは難しい』
まとめ
物事の状態や変化を客観的にとらえるという意味が似ているのですが、「洞察」は本質を見抜くという意味も含まれている点が、もう一つの言葉と違う点です。