「畏敬の念」は「いけいのねん」と読みます。
文章では良く見られますが日常会話ではあまり使われない言葉なので、読める様にしておきましょう。
「畏敬の念」の意味とは
「畏敬の念」の意味と「畏怖の念」との違いについて紹介します。
「畏敬の念」の意味
「畏敬の念」の意味は「崇高、或いは偉大なものや人をおそれうやまう思いのこと」です。
人やものに対して「これはすごい」と思い、知らずに頭が下がってしまう様子を表しています。
何かを尊敬すると見る目が変わるものですが「畏敬の念」の場合、相手を恐れる位に深く尊敬して仰ぎ見てしまう気持ちが含まれているのです。
「畏怖の念」との違い
「畏敬の念」とよく似た言葉に「畏怖の念」があります。
「いふのねん」と読み、意味は「人やものに対して恐怖を抱きかしこまる気持ち」のことです。
「畏敬の念」は相手を敬う気持ちであり、「畏怖の念」とは全く違う意味ですので、使い方に注意しましょう。
「畏敬の念」の言葉の使い方
「畏敬の念」の使い方には以下のポイントがあります。
「畏敬の念を抱く」として使う
「畏敬の念を抱く」とは、ものや相手に対して敬う気持ちを「否応なしに持ってしまう状態」のことです。
自分では意識していないのに自然に心の中に生じてくる時に使います。
「畏敬の念に打たれる」として使う
「畏敬の念に打たれる」とは、ものや相手に対して敬う気持ちで「感動を受ける状態」のことです。
相手への気持ちが心の中に残り、じんわりとする時に使います。
「畏敬の念を覚える」として使う
「畏敬の念を覚える」は、ものや相手に対して敬う気持ちが「湧き上がるのを感じる状態」のことです。
それまで何とも思わなかったのが、あるきっかけにより自分の中で相手を尊敬する感情が生じたことを自覚した時に使います。
「畏敬の念」を使った例文
「畏敬の念」を使った例文と解釈を紹介します。
「畏敬の念」の例文1
「富士山に登って初日の出を見て畏敬の念を抱いた」
元旦の朝に富士山から初日の出を見ると、誰もがその素晴らしさに圧倒されます。
思わず恐れ多いと敬う気持ちを持ってしまう程威力がある景色を表しています。
「畏敬の念」の例文2
「彼の献身的な行動に対して畏敬の念に打たれた」
その人は誰かの為に見返りを求めずに進んで行動していたのでしょう。
その姿を見て敬うと共に感動を覚えた様子を表しています。
「畏敬の念」の例文3
「彼のバイタリティ溢れる行動力に畏敬の念すら覚える」
常にエネルギーに満ちて行動し続ける人を見て「とても自分にはできない」と感心するだけではなく、尊敬する気持ちになっている自分に気付いた様子を表しています。
「畏敬の念」の英語と解釈
「畏敬の念」の英語は“awesome”です。
“awesome”は元々「畏敬の念を起こさせる」という意味でしたが、最近ではスラングとして「カッコいい」「すごい」「ヤバい」などの意味に使われる様になりました。
文章の前後の意味でカジュアルかシリアスか判断しましょう。
“It is an awesome landscape”(畏敬の念を抱かせる様な景色だ)になります。
「畏敬の念」の類語や類義表現
「畏敬の念」の類語を紹介します。
「尊敬」
「そんけい」と読みます。
意味は「相手の人格や行為、功績を認めてうやまうこと」です。
「畏敬の念」が人だけではなくものに対しても使われるのに対し、「尊敬」は基本的に人が対象となります。
「崇拝」
「すうはい」と読みます。
意味は「神や対象となるものを尊敬してあがめること」です。
こちらは宗教的な意味合いが強くなり、「畏敬の念」の様に自分で敬う気持ちになった時に使うものではありません。