この記事では、「不浄」と「不純」の違いを分かりやすく説明していきます。
「不浄」とは?
「不浄」は、そのエリアが穢れていることで、穢れとは単にその場所が汚いことの他、衛生的な意味以外では、死者などが野ざらしとなり供養を受けていない様です。
その為、「不浄」は、そのエリアがかなり不衛生であるとともに、通常の空間ではないことを意味します。
また、「不浄」は人物そのものが穢れていると言い切ることも可能です。
「不純」とは?
「不純」は物事の道理が純粋ではないことで、簡単に言ってしまえば、人間が持つ物事の考え方がねじ曲がっていることです。
なお、人間の考え方が捻じ曲がるというのは、純粋の反対の考え方を持つことを意味します。
「不浄」と「不純」の違い
「不浄」と「不純」の違いは、エリアを指し、そのエリアが通常ではないことを指すか、人間が持つ考え方が道徳に反しているかです。
「不浄」は、その場所が通常ではなくなり穢れていること、「不純」は人間が持つ考え方が通常と異なり純粋さを忘れていることです。
「不浄」の例文
・『不浄な人』
この言葉は、「不浄」という空間を示す言葉をあえて人間に使用しています。
つまり、穢れている人というのこの言葉で、通常ではない物の考え方や行動をする人を指します。
「不浄」は、その場が穢れているということを前提としていますので、上記の使い方ではその人物単体が穢れていると言い切れるため、人を指して使用することが可能です。
「不純」の例文
・『不純異性交遊』
この言葉は、人間が持つ考え方が道理と異なるうえで、異性の方とお付き合いをするという考え方です。
つまりは、通常は異性とお付き合いをする場合、肉体関係のみや金銭目的という名目では異性とお付き合いをしないというのがこの「不純異性交遊」という考え方です。
なお、「不純異性交遊」は元々は、不健全性的行為という言葉が元でズバリと言えば性的な関係を持つことだけを意味していました。
そこに、異性とお付き合いをするのに何らかの目的があるのではないかと仮定したのが「不純異性交遊」でいずれにしろ性的な行動を学生においては禁ずることを意味します。
まとめ
「不浄」と「不純」の違いは、穢れるという物ごとにおいて、対象をそのエリアとして場所を指すか、人間を指すかです。
「不浄」は、人間が穢れの対象だとした場合、人物を指定してその人物を中心に周囲が穢れていて通常ではない状態だと言い、「不純」は、対象となる者単体の考え方が通常と異なり、道理に反しており周囲にとって悪い影響を与えるとしています。
その為、「不浄」は周囲が汚染されているため、影響は大きいが、「不純」はまだその対象のみが汚染されているため、対象を始末すれば、一応平静は保たれます。
なお、「不浄」は原因を排除しても周囲の環境が汚染されているため、環境を再度構築していかないと周囲には人が集まらないです。
例えば、工場により水質が「不浄」となるとした場合、工場を排除しても水質を改善しないと人は寄り付かないということです。
その為、両者の言葉は場に影響を与えるという違いにおいては、「不浄」が一番厄介であると言えます。