「身体は闘争を求める」とは?意味や言葉の使い方、概要(元ネタ)など

「身体は闘争を求める」とは?新語・ネット用語

この記事では、「身体は闘争を求める」【しんたいはとうそうをもとめる】の意味や使い方、違いを分かりやすく説明していきます。

「身体は闘争を求める」とは?

自分の戦う気持ちに火がつくような場面に出くわしたとき、自分がいかにバトルして相手を倒したいという気持ちを伝えられる「身体は闘争を求める」【しんたいはとうそうをもとめる】は、ゲームファンが面白い作品だと早く新作が販売されることを望み、待ち遠しく感じ、発売日までの数日間は誰よりも早くに購入したいと思うそんな気持ちを代弁できるのが「身体は闘争を求める」でした。

SNSでツイートしたところ、いっきに共感得る言葉となり、多くの「いいね」を獲得した現在では大喜利ネタとなっています。


「身体は闘争を求める」の概要

戦闘メカアクションゲームである「アーマードコア」の新作が出てくるたび面白くつなげて大喜利ネタにするのが「身体は闘争を求める」であり、掲示板やSNSではネタとしてファンがやり取りして楽しむときに使います。

元々は「体は闘争を求める」と表記していましたが、現在は「身体」と変えて使われています。

この言葉の由来は“PokemonGO”【ぽけもんごー】であり、歩く人が増えることから靴底が減り、買い替えるので靴屋が儲かるというように順序よく言葉をつないでいき、「身体は闘争を求める」と表すようになりました。


「身体は闘争を求める」の使い方や使われ方

ゲームやアニメ好きの間では、自分の闘争心を奮い立たせるような作品に出会ったとき、その気持ちを表すために「身体は闘争を求める」と使います。

登場人物について話して盛り上がり、いかに自分の好きなキャラはこれだと話して盛り上がったときに「いや、俺の方がいい」と論争が勃発しそうになればいかに自分の血が騒いでいると相手に伝えられるわけです。

他にも、大人気アニメのポケモンGOを愛すユーザーをやくみつるが軽薄したときは闘争に火がついた者達が立ち上がることで人々は戦う勇気を持つと「身体は闘争を求める」ことになり、アーマードコアをプレイするという結果になるためゲームが売れるわけです。

「身体は闘争を求める」の例文(使用例)

・『好きな人が後輩に心奪われてしまいそうなとき、身体は闘争を求めて激しく胸が高ぶる』
・『犬達の本能に刺激された人が身体は闘争を求めて戦闘ゲームで遊ぶ』
・『列に並んでいると横から入り込んできたので俺の身体は闘争を求める』
好きだと感じる人が後輩に寝取られたり、気持ちを奪われてしまったとき激しく動揺し、戦おうと思えば「身体は闘争を求める」と使い、動物の縄張り争いを見ている自分も闘争心が奮い立つわけです。

人が勝手な行動したり、マナー違反したときも人は苛立ち、戦う意欲になったとき使われている言葉でもあります。

まとめ

人が持つ闘争心を強く伝えられるのが「身体は闘争を求める」であり、ゲームの世界だけではなく、日々の暮らしの中でも戦いたいと思う気持ちをさりげなく表せる言葉ですのでSNSやブログ、掲示板などで相手とバトルしたいときは使ってみるといいでしょう。