この記事では、「勤王」と「尊王」の違いを分かりやすく説明していきます。
「勤王」とは?
「勤王(きんのう)」とは、「王(天皇)を尊敬していて、王(天皇)のために働いて忠義を示すこと」を意味してます。
「勤王」は、「王(天皇)のために勤めること+王(天皇)のために反対者や裏切り者(不忠者)を排除すること」を意味している歴史用語なのです。
「勤王」は日本の幕末においては「倒幕運動(討幕運動)とストレートにつながっている過激思想」であり、京都で反幕のテロ活動を行っていた志士の多くが「勤王・倒幕」の思想を持っていました。
代表的な「勤王派」として、土佐勤王党の武市半平太、水戸天狗党などがあります。
「尊王」とは?
「尊王(そんのう)」とは、「王(天皇)を尊重して、王(天皇)に政治権力・実権を取り戻そうとする政治思想」です。
「尊王・尊皇」は「尊王攘夷・尊皇攘夷(そんのうじょうい)」の歴史用語として有名ですが、「尊王」の言葉そのものには「天皇に忠誠を誓って幕府を倒すために戦う」までの意味はありません。
「尊王」は、あくまで「天皇・朝廷を尊重して、その実権(政治権力)を回復しようとする思想」になります。
幕末の歴史で討幕に動いた薩摩藩と長州藩には、西郷隆盛(当時は西郷吉之助)をはじめとして「尊王」の思想を持つ志士たちが大勢いました。
「勤王」と「尊王」の違い
「勤王」と「尊王」の違いを、分かりやすく解説します。
「勤王」とは、「王(天皇)のために具体的に行動を起こして忠節を尽くすこと+王(天皇)のために反対勢力や謀反者を取り除くこと」を意味しています。
「尊王」とは、「具体的な行動を伴うか否かとは関係なく、王(天皇)のことを主権者・権力者として尊敬(尊重)すること」を意味している違いがあります。
日本の幕末の歴史においては、「勤王」のほうが「尊王」よりも「実際に幕府に逆らって倒そうとする過激思想(反幕のテロにつながる思想)の側面が強かった違い」も挙げることができます。
「尊王」は「勤王」と比べると、「王(天皇)に政治権力を取り戻して、王(天皇)や朝廷を中心にした国家体制を取り戻すための政治思想」といった面が強いのです。
「勤王」の例文
・『幕末の歴史において勤王の思想を持った志士たちは、天皇に政治権力を取り戻すための倒幕運動に参加することになりました』
・『幕府の実権がまだ残っている段階では、具体的に反幕府・勤王の動きを起こした人たちは厳しく弾圧されました』
「尊王」の例文
・『明治維新につながる日本の近代化を後押しした思想が尊王と攘夷であり、外国勢力を打ち払うために天皇に政治権力を返還させることを目指しました』
・『薩長同盟で幕府と戦った戊辰戦争では、倒幕の儒教的な大義名分として、天皇こそ真の王(主権者)であるとする尊王思想が掲げられていました』
まとめ
この記事では、「勤王」と「尊王」の違いを詳しく説明しましたがいかがでしたか?
「勤王」とは「王(天皇)のために実際に忠義を尽くして何らかの行動を行うこと・日本では倒幕に動くこと」であり、「尊王」とは「王(天皇)のことを尊敬して天皇・朝廷に政治的実権を戻すべきであると考える思想」であるという違いがあります。
「勤王」と「尊王」の違いについて詳細に知りたい人は、この記事の内容を参考にしてみてください。