この記事では、「壮挙」と「快挙」の違いを分かりやすく説明していきます。
「壮挙」とは?
「壮挙」は、自分の行いが胸を張って善行であると言い切れる良い行いを周囲にふるまうことです。
つまり、「壮挙」は社会から認められるような善行でなくてはならず、自分の行いが社会から認められない場合それは善なる行いではないと認識され「壮挙」ではなくなります。
「快挙」とは?
「快挙」は見ていて気持ちが良い行為で、行為自体は称賛されるような内容であれば、どの様な行為でもよく、スポーツなどでトップの成績を上げる、学業でトップの成績を上げるなどジャンルを問いません。
ただし、「快挙」は必ず称賛される必要性があり、とても称賛できないことでトップとなることは「快挙」とは言わないです。
「壮挙」と「快挙」の違い
「壮挙」と「快挙」の違いは、自分か他者の行動が胸を張って善行で社会の役に立つか、社会の役には立たないが見ていて気持ちが良い物であるかという違いです。
「快挙」は、実は行動自体においては善行である必要性はなく、見ている側が不快だと思わない物であればよいため役に立ちそうにないジャンルで大活躍して称賛されれば成立します。
「壮挙」の例文
・『壮挙を企てる』
この例は、社会的に見て善行であるように見える行為を自ら行うか、第三者が行うことを企てている様子です。
企てるは、故意でそれを行うことであるため、この例では自分か他者が善人にみられるよう故意で善行を社会に行っているように見えるように装うことを指します。
「快挙」の例文
・『日本人のF1選手が歴史的快挙です』
この例は、日本人のF1選手が見ていて気持ちが良い記録や順位を取得したという例で、これまでの日本人選手にはなかった記録をたたき出したという例です。
F1という物は別に社会的に役に立っているかと言われると微妙で、見る人のみが満足できればそれでよいため、この例では、「快挙」となり「壮挙」を使うことはありません。
まとめ
「壮挙」と「快挙」の違いは、自分か他者の行動が善行で社会に役立っているか、役に立ってはいないが見ていて気持ちが良いかです。
その上で、F1というスポーツは、「壮挙」では?と思われるでしょうがF1は自動車産業という産業の宣伝活動には役立っていますが社会的に見ると騒音をまき散らすという問題を抱えており、実は技術力の向上を図る企業同士の競争であるため、社会にとってプラスとなる部分とマイナスがあるため「壮挙」ではありません。
その為、F1というスポーツを見ていて気持ちが良いという方のみが満足すればそれでよしとしている、「快挙」という言葉を使用するのが正しいのは、F1というスポーツが完全に社会に役に立っているかどうかが関係しています。
つまり、社会貢献をするという意味では、産業を絡めて宣伝に繋がるような形ではなくボランティアのような形でなければ、「壮挙」は成立しません。