この記事では、「普段」と「不断」の違いを分かりやすく説明していきます。
「普段」とは?
「普段」には、つねひごろ、いつもという意味があります。
 毎日朝7時に起きています。
 朝起きたらカーテンを開け、その後に歯磨きをします。
 そして、朝食をとります。
 これがいつも行っていることです。
 このようないつものことが「普段」です。
 いつもは朝7時に起きて、身支度を整えて出勤しているのですが、今日に限って起床が朝9時になってしまいました。
 あきらかに遅刻です。
 これはいつもとは違うことなので「普段」ではありません。
 いつも家ではテレビを見ています。
 見る番組は決まっています。
 これも「普段」です。
 いつもはテレビを見ているのに、滅多にやらない読書をする、いつもはアニメを見ているのに今日に限ってニュースを見るなどは「普段」ではありません。
 いつもと変わらないといった意味を持っている言葉です。
「普段」の使い方
 つねひごろのことを指して使用をします。
 いつもと変わらないような事柄をいいます。
「不断」とは?
「不断」には、3つの意味があります。
 1つめは、とぎれることなく続くです。
 ある人は、大きな舞台に立って芝居をすることを夢みています。
 大きな舞台に立つためには、それなりの実力が必要で、実力をつけるためには練習が必要です。
 そのため、稽古を欠かさず行っていました。
 この人は、途切れることなく芝居の稽古をしている、途切れることなく努力をしているといえるでしょう。
 このようなさまを意味しています。
 もしも、「今日は面倒だからいいか」と稽古をやめてしまったら、途切れることなく続いているとはいえません。
 途中で切れることなく続くさまを意味している言葉です。
 2つめは、何かを決める力に乏しいことです。
 生きていると決めなければならないことがさまざまあります。
 たとえば、今日着る服、お昼に食べるもの、入社する会社、観る映画などです。
 こういったものをすぐに決められる人もいれば、決めるまでに時間がかかる人もいます。
「不断」は後者の態度です。
 3つめの意味は、つねひごろ、いつもです。
 いつもと変わらないといった意味を持っています。
「不断」の使い方
「不断」の漢字を使用するときには、1つめの意味と2つめの意味で使用することが多いです。
「普段」と「不断」の違い
「不断」には3つの意味がありますが、つねひごろ、いつもという意味が「普段」と同じです。
 この意味では「普段」の漢字を使用することが多くあります。
 どちらも「ふだん」と読みますが、意味によってアクセントが違います。
 途切れることなく続くという意味と、何かを決める決断力に乏しいことという意味では、「だん」の部分にアクセントがきて、つねひごろの意味では「ふ」の部分にアクセントがきます。
「普段」の例文
 ・『普段は自炊をしています』
 ・『普段の買い物はネットで済ませています』
 ・『普段とは違ったことをする』
 ・『普段の服装』
「不断」の例文
 ・『不断の努力の結果です』
 ・『君は優柔不断だ』
 ・『不断にヒートアップしている』
 ・『不断の前進』
まとめ
 2つの言葉は、つねひごろ、いつもと意味が同じです。


