この記事では、「ほとぼりが冷める」の意味を分かりやすく説明していきます。
「ほとぼりが冷める」とは?意味
高ぶった感情のなごりが鎮まること、事件などがあった後の世間の関心が薄まることです。
「ほとぼり」には、高ぶった感情のなごり、事件などがあった後の世間の関心という意味があります。
「なごり」とは、ある物事が過ぎ去った後にも、まだ影響が残っていることです。
つまり「ほとぼり」は、高ぶった感情の影響がまだ残っている状態や、事件が解決した後のまだ世間に関心が残っている状態を指します。
「冷める」とは、高ぶった気持ちが衰えること、薄くなることです。
こういったことから、「ほとぼりが冷める」とは、高ぶった感情のなごりや、事件がおさまった後の世間の関心が衰える、薄くなるという意味になります。
「ほとぼりが冷める」の概要
高ぶった気持ちをいつまでも保ち続けるのは難しいです。
時間が経てば、あるいは何かの働きかけをすれば、この言葉が指す状態になります。
夫婦喧嘩をしたとします。
どちらも喧嘩をした直後には、カンカンに怒っていました。
しかし、時間が経って冷静に考えてみると「あんなつまらないことで喧嘩するなんて」という気持ちになってきました。
どちらも相手のことを嫌っているわけではないので、できれば仲直りをしたいです。
次第に「許してもいいかな」という気持ちになってきました。
最初はカンカンに怒っていた、つまり気持ちが高ぶっていた状態でしたが、それが時間の経過によって鎮まってきています。
このさまを意味する言葉です。
今度はオリンピック後のスポーツブームのことで考えてみます。
オリンピックなど世間が注目するスポーツで選手が活躍をすると、そのスポーツをする人のことをかっこいいと思い、そのスポーツをやりたいと思う人が増えることがあります。
これまで関心を持たれなかったものが、急に注目されはじめるのです。
そして、そのスポーツをする人の数が急激に増えます。
しかし、これは一時的なことがあります。
関心がもたれていたものが、そうではなくなってくるのです。
子供が「やりたい、やりたい」といっていたのに、いつの間にか言わなくなるなどです。
このさまをこの言葉は意味しています。
「ほとぼりが冷める」の言葉の使い方や使われ方
高ぶっていた感情や世間の関心などが、衰えること、薄くなることを指して使用します。
感情については、高ぶったものだけに使用をします。
冷静になっているものが、さらに気分が沈んだということには使用しません。
「ほとぼりが冷める」の類語や言いかえ
「気持ちが鎮まる」「関心が薄れる」が似たような意味の言葉です。
「鎮まる」とは、勢いがあったものの勢いがなくなることです。
気持ちに勢いがあったもの、つまり高ぶっていた気持ちが落ち着いてくることを「気持ちが鎮まる」といいます。
「関心」とは得に心をひかれることです。
心をひかれていたけれど、そうではなくなってきたことを「関心が薄れる」といいます。
まとめ
高ぶっていた感情、世間の関心が薄れてくることを意味する言葉です。