この記事では、「他山の石」と「反面教師」の違いを分かりやすく説明していきます。
「他山の石」とは?
「他山の石」【たざんのいし】は「他人のつまらない言動や過ちも、自分が言動する時の参考になる」という意味を持つ慣用句です。
語源は、中国最古の詩編「詩経」に記述される「他山の石もって玉をおさむべし」という故事にあります。
「他山の石もって玉をおさむべし」は「他の山から持ってきた石が粗悪で使い物にならないならば、然るべき山から持ってきた良い石を磨く時に使いなさい」という意味です。
その意味が転じて「他人の役に立たない言動も、よく見れば自分の人格や技術を磨くために役立つ」という例えで使われるようになりました。
つまり「他人の欠点や失敗も、問題点を分析して自分はまねしないよう気をつければ、良いお手本になるのだ」と教えているのです。
類似語には「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがあります。
これは「他人の長所や欠点を見たら、長所は見習って、欠点は批判せず自分がまねしなければよい」という意味です。
欠点をまねしないよう戒めるところは「他山の石」に通じます。
「反面教師」とは?
「反面教師」【はんめんきょうし】は、悪い見本になる、まねしてはいけない人物や物事を指す言葉です。
近くに好ましくない言動をとる人がいると腹が立ちますが、反発すれば悪い結果をもたらすかもしれません。
この言葉は、他人の好ましくない言動を見た時には反発せず、心の中で「自分はそうならないよう気をつけよう」と思ってわが振りを直すのが賢いのだ、と教えています。
これは中国の毛沢東が発案した造語です。
初めに使われたのは1957年の演説とされ、言葉の歴史は古くありません。
毛沢東が説く「反面教師」は「間違った指導者はすぐに排除せずとも、孤立した状態で存在させておけばよい。
そうすれば悪い見本となって正しい教育が普及する」という意味を持ちます。
間違った言動をする人物は、見た人に「そうならないよう気をつけよう」と思わせるので反省や学びに貢献する教師になっているのだ、ということです。
「他人のふり見て我がふり直せ」「他山の石」も類義語とされます。
「他山の石」と「反面教師」の違い
「他山の石」と「反面教師」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも、他人の好ましくない言動を見たらわが振りを直すよう諭している言葉ですが、ニュアンスは微妙に異なります。
「他山の石」は、他人のつまらない言動や過ちも、どうすればその欠点が直るか分析して自分の学びに活かせば、良い手本になるという意味です。
「反面教師」は、好ましくない言動を取る人物は「自分みたいな生き方をしないように」と教える教師のような存在になるのだと説いています。
まとめ
「他山の石」と「反面教師」は互いによく似ていますが、由来やニュアンスは異なります。
ちなみに「他山の石」については「他人の良い言動をお手本にすること」という間違った解釈が広まっています。
「他山の石」が指すのは「劣っていてお手本にならないもの」なので「お手本にしている」と相手をほめるつもりで「他山の石」を用いると、失礼な発言になってしまいます。
正しい意味を理解したうえで言葉を活用していきましょう。