「可愛すぎて生きるのが辛い」とは?意味や言葉の使い方、概要(元ネタ)など

「可愛すぎて生きるのが辛い」とは?新語・ネット用語

この記事では、「可愛すぎて生きるのが辛い」【かわいすぎていきるのがつらい】の意味や使い方、例文を分かりやすく説明していきます。

「可愛すぎて生きるのが辛い」とは?意味

「可愛すぎて生きるのが辛い」【かわいすぎていきるのがつらい】とは、見ている方が苦しくなってしまうほど可愛い発言する人を見たときに発する言葉です。

目の中に入れても痛くないほど愛くるしい言葉を言ってはニコッと微笑んだり、ぺロッと舌を出しておどけて見せる人、動物の姿があまりにも可愛く、胸が掴まれてしまったとき「可愛すぎる」という気持ちと、あまりの可愛さに倒れてしまいそうになった人が「生きるのが辛い」に表す愛情表現です。


「可愛すぎて生きるのが辛い」の概要

多くの人が見て「可愛い」と思ったアニメのキャラクターや動物、子供から大人の女性に対して使われるこの「可愛すぎて生きるのが辛い」という言葉は胸がドキドキと高鳴ったり、胸を掴まれて愛する気持ちを持ったときに使われています。

「可愛い」よりもさらに「いい」と思う気持ちを表す「可愛すぎる」は、何度見てもかわいいと思うし、人がなんと言おうと自分にとっては最高に可愛いと思う人だ」と感じたときに使う言葉です。

この言葉の発祥は、掲示板の2ちゃんねるのハロプロ板であり、「かおりんが美しすぎて生きていくのが辛い」を文字って、「可愛すぎて生きるのが辛い」に変わり、現在でも使われる言葉となりました。


「可愛すぎて生きるのが辛い」の言葉の使い方や使われ方

自分が目にしたものがあまりにもかわいすぎたとき、まるで運命の人と出会い、心が時めき、悶えてしまうそのさまを言い表します。

掲示板ではいかに自分が気絶しそうになるくらい好きであるか、その気持ちを伝える言葉であり、他の人も「それだけ愛情が深いんだな」「そこらへんにはいないほど可愛いんだな」というイメージを想像できるわけです。

また、5ちゃんねるではこの言葉を言っておけば「オタク仲間」として扱ってもらえると思う人が通ぶり、作品の登場人物を魅力的に紹介するときにも使います。

類義語に「萌え」があり、目にしたもので胸が高鳴るほど「可愛い」と思ったものを褒めるときオタクや10代の女子が発する愛情表現になります。

「可愛すぎて生きるのが辛い」を使った例文(使用例)

・『手が届かない高嶺の花のような女性を見ると可愛すぎて生きるのが辛い』
・『相手を気安く認識できないほど恐れ多い者に対して可愛すぎて生きるのが辛いと感じる』
・『あまりにも尊く、頬がカッと熱くなるほど心奪われるものに可愛すぎて生きるのが辛いものが多い』
容姿も学歴も普通と思う人にとって、なかなか手が届かない憧れの者に出会ったとき、可愛すぎるからこそ心が奪われてしまい、生きるのがしんどくなってしまうわけです。

好きなものは可愛いと感じますが、仕事や食事していてもその人のことを思い出すと生活を阻害され、うまく生きていくのが難しいと思うとき「可愛すぎて生きるのが辛い」状態になってしまいます。

まとめ

自分の心を強く惹きつけては離さない人や動物を見かけたとき、「可愛すぎて生きるのが辛い」と表し、いかに自分が愛しているか表せる愛情表現にもなります。

あなたもそのようなものに出会ったとき、その人のことばかり考えて辛いと思うなら、その気持ちを改善する方法を見つけてみるといいでしょう。