この記事では、「咎められる」と「苛まれる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「咎められる」とは?
「咎められる」とは、悪いこと、望ましくないことをしたとして注意を受ける、責められる、非難されるといった意味になります。
また怪しく思われて尋ねられることでもあります。
「過失を咎められると、彼は反省するどころか逃げた」「怪しい風貌をしているから、よくお巡りさんに咎められるらしい」「親に咎められると、息子は正直に白状した」などと使います。
「苛まれる」とは?
「苛まれる」とは、苦しめられる、という意味で使います。
また古い日本語では厳しく「咎められる」、叱られるといった意味でもありますが、現在の日常会話においては前者の意味で使うことがほとんどでしょう。
「今更、後悔の念に苛まれる」「あの時、彼女を助けなかったことに苛まれる」「事件後、トラウマで悪夢に苛まれる」などと使います。
「咎められる」と「苛まれる」の違い!
「咎められる」と「苛まれる」の違いを、分かりやすく解説します。
この二つの言葉は、非難されるといった意味で同義語として使えるのですが、それぞれ意味が違う部分がありますので、それを見ていきましょう。
「咎められる」は、悪いことをして非難されるといった意味合いの他、「怪しく思われ、尋ねられる」といった意味があります。
この意味で使う場合は「苛まれる」は使いませんの気をつけてください。
一方「苛まれる」は「苦しめられる」という意味です。
後悔の気持ちに苦しめられる、人の恨み、言葉に苦しめられる、悪夢、トラウマに苦しめられるといった時に「苛まれる」を使います。
この場合は「咎められる」は意味が違いますので使いません。
まとめますと「咎められるは怪しく思われ尋ねられる」「苛まれるは苦しめられる」というのが、それぞれの別の意味です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「咎められる」と「苛まれる」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。
「非難される」という意味では同義語ですが、それ以外の別々の意味を持つ言葉ですので、正しく理解して使い分けていきましょう。